南 浜 秋 艸 堂

 
かすみたつはまのまさごをふみさくみ かゆきかくゆきおもひぞわがする

 歌集 『鹿鳴集』 中 「望郷」 に収められた 1首。東京に暮すことの長かった會津八一の故郷への想いのこもった歌。

 歌碑は新潟市内の北方文化博物館新潟分館の庭に建っている。同館は豪農として知られた伊藤文吉の別邸で、八一が最晩年に住まいとし、ここで亡くなった。二階建の洋館の一階を書斎兼応接室に使い、二階を寝室とした(写真下)。入口には 「會津八一終焉之地」 の木標が立っている。

 歌碑は伊藤文吉により1955 昭和30年11月に建てられた。八一はこの歌碑のために特に揮毫して、その余白に朱で 「歌碑として彫刻せしむるために、特に筆劃訂正を加えたるものなり。彫工は熟練なるを要す」 と書いた。歌碑に対する厳しい姿勢がうかがえる。これが八一生前の最後の歌碑となった。没後建てられた歌碑、特に近年の歌碑について幽界の八一はどのような思いを持つだろうか。

 歌碑は高さ約 1メートルの自然石になんの加工も施さずに文字が彫られている。歌碑としては小さなものだが最晩年の八一は、人が訪ねてくると 「俺の歌碑が出来たから見てゆけ」 と先に立って案内したそうである。八一は歌碑が出来て 1年後の1956 昭和31年11月21日に他界した。
 
(會津八一歌碑巡礼 新潟 2)