今日で8月が終る。今年は梅雨の時に真夏のようで、8月は梅雨のような毎日で、アメリカには空前のハリケーンが襲来、天候も世の中も本当におかしくなっているようだ。9月になると 「おわら風の盆」 だが、天候に恵まれるように願うばかりだ。

 あの諏訪町の緩やかな坂道の両側に連なる雪洞の灯り、静かに、少しずつ近づいてくる町流しの踊りの列、やがて胡弓と三味線の音、唄声が聞えるようになり、間近に見る踊りへの期待が高まってくる。この時の感動がつい昨日のように思い出される。

 私の風の盆体験は、髙橋治の 『風の盆恋歌』 を読んだことに始まった。これは風の盆を舞台とした中年男女の悲恋物語だが、終りの方に2人で昔の杉津
(すいづ)駅からの眺めを見るために車で軌道跡の道を行く場面があった。

 私もそんな昔の杉津駅からの眺めを見てみたくて海沿いの道から急傾斜の道を登った、こんな体験も含めて書いたのがエッセイ 「風の盆」 だった。
 

 
 

 
 ところで、関川夏央に 『汽車旅放浪記』(新潮文庫、2009年) という一冊がある。汽車旅の好きな私が書名に惹かれて買ったのだが、この中に杉津駅からの眺めに関する話があったのには驚くと同時にうれしかった。

 鉄道おたく、鉄ちゃんには乗り鉄、撮り鉄などいろいろとあるが、関川は私に言わせればさしずめ歴鉄といえそうだ。どの文章も鉄道の歴史についての広く深い知識が生かされて魅力となっている。
この本は、「楽しい汽車旅」 「宮脇俊三の時間旅行」 「「坊っちゃん」 たちが乗った汽車」 の三部仕立となっているが、杉津駅をめぐっては 「楽しい汽車旅」 の中の 「三十八年の一瞬」 のうち10ページが 「なつかしい杉津駅」 として割かれている。

 話は、荒川洋治の 「僕の鉄道の思い出は、旧北陸本線の杉津駅周辺の光景だ。列車は日本海沿いの山の上へ、。そこで列車は、まるでお休みでもとるように、海を見ながら、ぽうっと止まるような感じになるのだ」 「子供のとき、この風景を知っていたことを、ぼくはいましあわせに思う」 という思い出の紹介から始まる。

 私のエッセイでは、柳田國男の 「越前の杉津の駅頭から、海に臨んだ緩傾斜を見おろした眺めなどは、汽車がほんのもう一分だけ、長く止まって居てくれたらと思はぬ者は無い」 という感想を紹介した。
 
 北陸本線の敦賀 ・ 今庄間は険しい山地が海のそばまで迫っており大変な難所だった。鉄道はスイッチバックを繰返し、いくつものトンネルをくぐってこの難所を通り抜けた。だから乗客は途中の杉津駅からの深く切れ込んだ敦賀湾の眺望にホッと一息ついたのであろう。

 関川は、「二五パーミルの勾配を登るため、この区間は蒸気の重連、または列車後部に補機をつけて押した。杉津駅は、牧歌的風景と 「働く機関車」 との劇的な対比を好む鉄道ファンの撮影適地として知られていた」 と書いている。

 この困難を解決したのが1962年6月に完成した北陸トンネルで、敦賀と今庄の間を 13.87km という世界有数の長いトンネルで結んだ。この結果廃止となった駅の一つが杉津駅だった。しかし、この駅からの眺めが人々から失われたわけではなかった。

 その後開通した北陸自動車道の上り線に出来た杉津パーキングエリアがまさにこの駅のあった位置で、昔の通りとはいかないが、ほぼ同じような景色を楽しむことが出来る。もう一つは道路となった旧軌道を辿って旧駅の辺りに行くことで、私が歩いた道である。元が単線の鉄道線路であり、トンネルだからもちろん自動車が自由に行き違えるような道幅ではない。あまり走りたくない道路だが、旧線沿いの人たちにとっては必要な道なのだろうか。この道路を走った関川は、鉄道ファンらしい感動的な体験をして無事に今庄に着いている。

 「全長一二〇〇メートルの山中トンネルは登り勾配を保ちながら、内部で東へ方向を転じるから、出口はまったく見えない。車の両端が壁に接触するのではないかと錯覚するほど狭く感じる。こわいが嬉しいとも思えるのは、それが機関車の運転台からの眺めとそっくりおなじだからだ。遠い昔の憧れを思う。

 これだ。これが見たかったのだ。自分の車のヘッドライト以外には頼りになるものはない。フロントガラスは濡れる。屋根は漏水に打たれて音をたてる。昔の軌道面は光を反射して輝く。壁はゆるい曲線を描きつづける。回転半径は一五チェーンしかない。わくわくする。

 しかしこの長さ、この曲がり方では機関士と乗客は煙に苦しんだだろう。私は鼻孔の奥に燃える石炭のにおいさえ感じた。やがて遠くに馬蹄型の出口が見えた。トンネルも終りに近づき、直線区間に入ったのだ。安堵と名残り惜しさの念が、同時に湧いた。」(p.78)

 

 
  鉄道ファンとは面白いもので、普通の人ならなにも感じないことに感動したりする。今は姿を消してしまった路線や駅がずいぶんと多いが、杉津駅からの眺めのようにいつまでも人々の心の中にに生き続けているものがきっとあちこちにあることだろう。
 
 ところで、1943 昭和18年に廃止となった東京の万世橋駅は御茶ノ水駅と神田駅の間にホームだけが残っていたが、近年駅としてではないが再開発されて新しい名所として復活した。レンガを積上げた高架の下にはおしゃれな店が並び、電車がすぐ脇を走るホームにも上れ、カフェも出来た。
 
 万世橋駅 (1912 明治45年開業)は中央線が東京駅 (1914 大正3年開業、1919年中央線始発駅)まで延びる前は始発駅だった。駅舎はレンガ造りで東京駅の試作(辰野金吾設計)と言われ、駅前には日露戦争の英雄広瀬中佐の銅像があった。今はさいたま市に移った鉄道博物館は長いことここにあり多くの人に親しまれていた。 
 
 
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