今は東京から尾瀬ヶ原は日帰りで行ける時代になったが、私が初めて尾瀬に行ったころは上越新幹線も関越道もなくマイカーの時代でもなかったので、たいへん交通不便な山旅だった。その分尾瀬にはまだ秘境の面影が十分だった。
 
 
初めての尾瀬
 

 私がはじめて尾瀬に行ったのは1961年(昭和36)の10月で、激動の60年安保の翌年にあたる。たくさんの人で賑わう夏を避けて静かな尾瀬の秋を味わってみたかった。幸いその時のメモがあるので読み返してみた。
 
10月11日(水) 曇り時々薄日
 昨夜11時55分発の最終列車で上野駅を発つ。早朝 4時近くに沼田駅に着き 5時30分発の大清水行きのバスに乗る。登山者は40人くらいだ。駅からしばらくは舗装道路だがやがて石ころ道を揺られながら鎌田・戸倉を経て大清水に着いたのは 8時10分、立派な休憩所がある。
 
 朝食をとって出発。一之瀬を過ぎるとジグザグの登りになるが、しばらく我慢 して三平峠に着く。少し下ると木の間越しに待望の尾瀬沼が見えた。すごく神秘的な雰囲気に打たれる。長蔵小屋の赤い屋根の向うに広がる湿原の茶色の草紅葉がすごく綺麗だ。 長蔵小屋には11時過ぎに到着した。

 小屋から沼尻に向かう沼沿いの道はまったく静かだ。誰にも会わない。バスで一緒だっ た人たちはみな船で沼尻に渡ってしまったらしい。いくつも横切る小さな湿原がどれも忘 れがたいすばらしさだ。沼尻の小屋でお茶をもらい昼食をとる。 沼尻からは沢沿いの山道となる。途中で10人ばかりのパーティーを抜いてからは誰にも会わない。まったくの静寂である。鳥の鳴声も聞こえない。カバ ・ ブナの黄葉、カエデ ・  ウルシの紅葉が目の前や頭の上に、また向う岸の山肌にと満ち満ちている。それらは陽があたるとひときわ美しく映える。燧ケ岳は中腹を黄色に染めている。私はしばらく腰を下ろしてこの自然のご馳走を満喫した。 
 
 

 
 
 見晴には3時過ぎに到着。ここには数軒の小屋がある。三条の滝はあきらめていよいよ尾瀬ケ原に一歩を踏み出した。一面に茶黄色の原の中を一筋の木道がはるかかなたに消えていく。原を渡る風が頬に冷たく、シラカバの白い木肌が印象的だ。正面の至仏山は雲に覆われてその頂を見せてはくれない。30分も歩いて沼尻川を渡ると竜宮小屋だ。

 小屋に荷物を置いて主人に教わった竜宮を見に行く。木道を外れて原に入るが足がもぐりそうになる。水の流れが渦を巻いて吸い込まれ、また噴き出してくるさまは不気味だ。 今日の泊り客は私だけなので囲炉裏端で小屋の主人と話しながら夕食を食べた。季節ごとの尾瀬の様子、花のことなど興味深い話に時間を過した。

10月12日(木) おおむね晴
 
 
 朝 6時過ぎに原の景色を眺める。昨夜の雨も上がり至仏山をはじめ周りの山の裾は朝もやに覆われているが、朝日のあたる山肌、原の草紅葉やシラカバはひときわ輝いて見える。 9時過ぎに小屋を出た私は少し行った十字路を右に行きこのあたり-中田代の中で、草紅葉のあちこちにある大小さまざまな池や燧ケ岳 ・ 至仏山をはじめ周囲の山々が一面に色 とりどりに紅葉している景色をしばらく楽しんだ。この広い原を殆ど独り占めである。この時の気分は言葉ではとても表現できない。しばらくして山の鼻に向かう木道に戻ったがそこで昨日追い越した10人のパーティーに出会った。
 
 

 
 
 山の鼻へは心細い一本の木道を歩いてゆくが、ところどころで木道が流されているのでじめじめした原を歩かなければならない。ところが牛首のあたりでついに木道がなくなってしまった。水に流されたのならば近くにありそうなものだがそれも見当たらない。仕方なく足首まで水につかりながら200メートルくらい直進したが、川の流れに行く手を阻まれる。やっと見つけた危なっかしい橋を渡ると再 びしっかりした木道が現れてほっとした。山の鼻小屋が見え始めたが、小屋の近くでまた難所に出会う。何とかそこも通過して小屋に着いた時は11時半を回っていた。昼食をとったらいよいよ至仏山だ。

 至仏山はとっつきの樹林帯を抜けると実に鮮やかな紅葉帯に入る。丈の低い木が一面に紅葉しているさまは実に見事だ。登山道は地図にあるように殆ど一直線だが、びしょびし ょとしたいやな道だ。まるで石と泥と水のカクテルで不快この上ない。しかし高度はぐんぐん上がる。前にも後にも登山者は独りもいない。頂上
(2228m)に立ったのは 2時頃だった。草紅葉の尾瀬ケ原とそれを取り巻く山々の紅葉と黒木のコントラスト、遠くに少しだけ見える尾瀬沼と、すばらしい尾瀬の全容とさらにその周辺の山の姿に時間を忘れて眺 め入った。
 
 頂上では一人の登山者に会った。これから小至仏山を通って湯の小屋に下るという。利根川の源流にあたるが、頂上からはそちら側に一気に落ち込んでいるので大変だろう。私は登った道を下ったが足場が悪いので時間がかかり、小屋に着いたときは 4時を回っていた。明日は鳩待峠に登って帰るだけだ。今夜の泊り客は15人。

10月13日(金) 晴
 朝7時半に小屋を出発。泊り客の何組かは至仏山に登っていった。朝もやの原の風景が美しい。小屋を出ると沢に沿った紅葉の中の道を登っていく。木の間越しに朝日に輝く至仏山が望まれる。約1時間で鳩待峠に着いたが、朝が早いせいか峠は静かだ。ここからは長い下りになる。のんびりした気分で歩いていると何人かの登山者に出会った。今朝のバ スでやってきたのだろう。

 途中には日光の奥白根山が見えるところがあった。いいかげん いやになった頃に戸倉に着いたが、11時半を過ぎていた。さっそく酒屋に飛び込んでビー ルを買い独りで乾杯。12時20分発のバスで沼田に向かった。途中の峠のあたりは高い崖の上や狭いトンネルをバスが通るので怖いところだ。私が尾瀬に入った日にこのあたりでバスが崖下に転落する事故が起きたと聞くとなお怖い。それでも無事2時半には沼田駅に着き、2時40分の電車に乗って東京に向かった。
 
 参考までに記しておくと、この時の国鉄(JR)の東京 ・ 沼田間の運賃は410円、大清水までのバス代は240円、戸倉までは210円、小屋の宿泊代は1泊 2食弁当付きで500円であった。
 

 
残雪の会津駒ケ岳 
 
 
 
 
 
 翌1962年6月の上旬、今度は3人で会津駒ケ岳に登り、ミズバショウの尾瀬に足を伸ばした。秘境として知られていた檜枝岐を訪ねたのはこのときが初めてだった。夜11時45分上野発の夜行で早朝会津若松駅に着いた。少し市内見物をした後、会津田島駅からバスで檜枝岐に入り丸屋に泊る。梅雨の最中なので覚悟はしていたがやはり雨が降る一日だ。檜枝岐 にはまだ草葺の家がたくさんあって秘境の面影を色濃く残していた。

 翌日は幸いに曇り空となり元気に出発。村の中心部を通り過ぎると登山口がある。登山道はブナの樹林帯を登っていくが傾斜が急でけっこう苦しい。しかしすばらしい新緑が目を楽しませてくれる。やがて黒木の樹林帯になると傾斜がだんだん緩やかになりそれを抜 け出たとき我々の目の前には一面の雪原が広がった。地形は馬の背のようで踏み跡は緩やかに登っていくがあいにくとガスで頂上の方はまったく見えない。夏ならばこのあたりから湿原が現れて様々な花が見られるであろうに、今は一面の雪で、しかもガスのために視界が定まらない。

 雪の上には間隔をおいて木の枝がさしてあるが、宿を出るときに絶対に沢に迷い込まないように厳重に注意されたことを考えると、傾斜が緩やかなために下りで樹林帯への入口を見失うことが心配だ。雪の上で一休みしたあと木の枝を折りそれを雪の上にさして目印を補いながら前へ進むことにした。残雪の上を歩くのは気分がよいがこれで晴れていればなおすばらしいだろう。目の前の駒ケ岳・中門岳はもちろん燧ケ岳 ・ 至仏山 ・ 景鶴山といった尾瀬の山々、さらには武尊山をも間近に眺めることが出来るだろうに現実はグレー、しかも雨まで落ちてきた。
 
 

 
 
  しかし頂上付近は雪が消えていたので、しばらく登頂の喜びを味わった後に今度は雪原 を下り始めた。最初の計画では大津岐峠を回って檜枝岐に帰るつもりにしていたが、天候が悪いので登った道を下ることにした。ガスの中を無事に樹林帯に入ることができてほっ とした気分になる。しかし、樹林帯にも雪はけっこう残っていたので、ブナの幹に残された登山者の切り込みがずいぶんと安心させてくれたことを覚えている。今日は一日誰にも会わなかった。宿に帰ったときには薄暗くなり、宿の人からもう少し帰ってこなかったら探しに行こうかと思っていたと言われて大変恐縮した。

 かくて私の駒ケ岳登山は、すばらしい眺望もかわいらしい高山の花もなかったが、その代わり緩やかな雪の稜線とすてきなブナの新緑を心に刻み付けて終わった。
 
 
 
 「会津駒は人ずきのされる山である。会津駒は静思の山。そして思い出の表現のような山である。幻想の曲のあらわれとも言いたいその山の持てる曲線。目つむりて思うにふさわしき山、おお会津駒。その名はいつまでも若い旅人の愛すべきメモの一つに残るのだろう」 
 
とは、尾瀬の紹介者で植物学者の武田久吉とともに1924(大正13)年7月に尾瀬に入り、駒ケ岳にも登った植物学者舘脇操の言である 。(武田久吉 『尾瀬と鬼怒沼』 平凡社) 
 

   
 
 
 次の日は朝から雨だった。交通不便な当時は沼山峠までが一仕事である。七入から沢沿いの道に入りしばらく我慢して登らなければならない。それだけに峠から尾瀬沼を眺めたときの感激は大きかった。大江湿原に下って尾瀬沼から尾瀬ケ原に向かう道のあちこちでミズバショウを見ることができる。日陰に残る雪とミズバショウの花の白が印象的だった。 この日は竜宮小屋まで足を伸ばして泊った。一年前の秋一人で泊ってお世話になった宿だ。 夕食の後炉端でぬれたものを乾かしながら同行のKさんと話し込んだのも若いころの思い出の一つである。

 最後の日は幸い雨が上がったので、尾瀬ケ原を散歩したのち富士見峠に登り、アヤメ平 をみてから戸倉に下った。私の二回目の尾瀬は梅雨空のもとでの残雪の会津駒ケ岳と尾瀬 のミズバショウ、それに秘境檜枝岐を垣間見る旅であった。