各地のアユ漁が解禁となりいよいよアユの季節が到来したが、アユで知られた伊豆狩野川の水源の一つである柿田川を再訪した時の話である。

   富士山の地下水が豊かに湧き出る町三島というイメージが崩れつつあることは初めて訪ねたときにも感じたことだが、それにしても柿田川の湧水の豊かさと透明なのには驚いた。再訪して湧水が健在なのには安心したが、湧水の減少が深刻なことを知ることにもなった。
 
 
 
 
 
 柿田川に行ってまず驚いたのは、すぐ上を車が絶間なく走る国道 1号のすぐ下の崖からきれいな水が大量に湧き出ていることだ。湧水は数十ヶ所にのぼるという。だからこの川は、「山奥の一滴の水が集まってだんだんと川になる」 といった常識を破って、誕生したときから立派な川の姿をしている。

 この湧水群の辺りは柿田川公園となって保護されており、湧水の様子は二つの展望台から眺めることが出来る。第一展望台は国道のすぐ下にあり、流れの中や岸辺から地下水が砂を噴き出しながら湧き出ている様子がよく見える。少し離れた第二展望台から下を覗いて見ると、埋められた大きな円い枠
(湧き間)から驚くほど透明な水が大量に溢れていた。おそらく見た目よりうんと深いのだろう。底のほうには魚が何匹も泳いでいた。ここはかつて湧水を大量に汲み出した跡だという。
 

 
 
 
 
 この水をみながら考えたことは、この富士山の地下水は何年くらい経って湧き出るのだろう、その量に変化はないのだろうかといったことだった。 この湧水は、8500年前の富士山の大噴火で流れ出た大量の溶岩が箱根の山と愛鷹山の間を流れて三島の町や柿田川の辺りまでやってきて、この三島溶岩流を通ってきた地下水が湧き出たものといわれている。

 ところが帰り道に三島駅の近くにある楽寿園に寄って驚いた。ここには明治時代に小松宮がこの溶岩流を利用して造った広大な庭と御殿があるのだが、御殿の前にある大きな池-小浜池には水が一滴もなかった。ちょうど庭の手入れをしている人がいたので池に水のない事情を聞いてみた。その人の話によると、「地下水はいま池のマイナス 2メートル以上でこれがプラスになると池に水がたまること、最近はめったにないがそれでも大雨が降った時や夏のお盆休みの頃には水を見ることが出来る」 とのこと、何故お盆休みかというと 「上流にあたる御殿場辺りの大工場が休みだから」 とのこと。 湧き出るのに何年かかるかについては、「10年とも100年ともいいます」 とのことだった。また、「柿田川はここより標高が低いのとおそらく水脈が違うので湧いているので しょう」 とも教えてくれた。

 それにしても湧き出るのに10年以上もかかるのになぜ大雨やお盆休みに反応するのだろう。どうも腑に落ちないので後日楽寿園に電話し、またホームページを見て少し事情が分かってきた。小浜池の水が枯れはじめたのは昭和40年代の初めからで、たまに水が溜ることはあってもここ20年以上も今のような状態だとのことだった。昭和40年代といえばまさに高度経済成長の時代だ。製紙工場のヘドロが駿河湾を汚染して大問題になったことを思い出す。柿田川の湧水群も工場の廃棄物で汚染され、現在のように回復するのに大変な努力が積重ねられたそうだ。

 結局分かったことは、地下水が下流では確実に減少していることで、その原因は上流地域の開発による自然環境の破壊(保水力の衰退)や大工場による地下水の汲上げにあるらしい。しかし、大雨などで一時的に地下水が増えることもあるといったことだった。大雨が降ってそれが地中深く浸み込む量を超えれば、水は一時的に地下の浅いところを流れることになる。また、大工場の大量の揚水が一時ストップすれば地下水の水位も一時あがることになろう。それに柿田川関係のホームページから分かったことは、富士山に降った雨が湧き出るのには26-28年かかるということだ(トリチウム濃度の分析結果)

 では、柿田川の湧水量はどの位なのだろう。1960年代の初めには一日130万立方 メートルだったが1980年代に100万立方メートルに減少している。やはり高度経済成長の影響だろうか。以後は100-110万立方メートルで推移しているそうだ。100万立方メートルという量は25メートルのプール2000杯分にあたる水の量で、富士山全体の一日の地下水約450万立方メートルの実に20パーセントにあたると分かると、 柿田川のすごさをあらためて感じる。このうち20万立方メートルは三島 ・ 沼津 ・ 熱海市と清水 ・ 函南町の飲料水として利用され、10万立方メートルは工業用水として利用されて残りは川の水となって狩野川に合流する(Information かのがわ ホームページ)。 水源から合流点までわずか1.2km の柿田川は、一年中水温が摂氏15度前後の文字通 り日本一の清流といえる。
 

 
 
 
 
 柿田川公園は、二つの展望台で水源の湧水の様子を眺めた後に川に沿った遊歩道を歩くことで川の姿と清流に育まれる動植物を観察できるようになっている。川の中にはアユ(鮎)をはじめウグイ ・ アマゴなどの魚たちが泳ぎ、ミシマバイカモ ・ クレソ ンのような清流にしか育たない植物が茂る。そして川の魚を狙ってカワウ(川鵜) ・ サギ(鷺) ・ カワセミといった鳥たちが集まってくる。遊歩道に双眼鏡を手にしてじっとうずくまっている人がいた。その人の話では、色鮮やかなカワセミは珍しくはなく、今日は白と黒のヤマセミを見にきたといっていた。平地でこの鳥を見るのは珍しいのではないだろうか。川にいるたくさんのアユたちがカワウに狙われて大きな被害がでたこともあった。しかし、冬には川の中にアユはいない。大きなシラサギが一羽のんびりと浅瀬に立っていた。本当は必死に獲物を狙っていたのかもしれないが。宝永山を正面から見る角度で富士山を間近に眺めることが出来た。

 季節を問わず一定の水温 ・ 水量を保って水が汚れることのない柿田川はアユにとっては絶好の産卵場となる。アユは、川の中 ・ 下流の産卵場で秋に生れた子アユが流れに乗って海に下り、寒い冬は砂浜のある海岸近くの海で動物プランクトンを食べて育ち、春になると川を遡上して石についたコケ(藻類)を食べて大きくなる。そして秋になると中 ・ 下流のきれいな石が川底にたくさんある浅瀬に産卵して短い一生を終る。 柿田川には秋になると狩野川の上流から下ってきたアユが産卵のためにたくさんやってくる。11月頃のこうしたアユの群の行列はすばらしい眺めだと近くに住む人のブログに書いてあった。遊歩道の途中に湧水の小さな流れがあり、そこには大小の湧き間が造られて水がきれいな小石の上を音もなく流れていた。産卵期にはアユがここに群がって命の最後の炎を燃やすが、それは陽が落ちるころからだという(写真下)
 

 
 
 
 
 私は釣りをしないが川で釣れたばかりの天然アユを食べてみたいとかねて思っていた。そのためにはるばると四万十川まで行ったこともあったが、生憎と直前の大雨で清流ならぬ濁流の四万十川を眺めることとなって希望をかなえられなかった。

 狩野川はアユ釣りで知られているが、柿田川の様子からして釣れるアユはみな天然アユかと思い漁業組合に聞いてみた。ところが「稚魚の放流も決められているのでしている」との話だった。すると釣れたアユが天然のものかどうか区別がつくのかと訊ねたら、「分かる人はあまりいないでしょう」とのこと。私の頭は混乱した。アユがたくさんいても稚魚放流の義務があるのだろうか。はたして本当に天然のアユを食べることは可能なのだろうか。時々「天然鮎」の看板を出している店を見かけるが、その店で出されるアユはどんなアユなのだろう。
 
 こんなときに図書館で出会ったのが、『ここまでわかった アユの本』という本で、 「変化する川と鮎、天然アユはどこにいる?」と表紙に書かれていた(高橋勇夫・東健 作、築地書館)。この本を書いた人は長年アユについて調査・研究をしてきた専門家で、全国のアユのいる川と関係する人々のことをよく知っているので、アユについて全く無知な私にはビックリすることばかり書いてあった。

 この本を読んで分かったことの一つは、「稚魚放流の義務」は間違いで、国は漁業組合に「アユの増殖対策を義務付けている」というのが正しいということ。しかし、これまでは増殖対策=放流と安易にすませてきたことが近年のアユの不漁、天然アユ保護の努力不足につながったと書いてある。近年は全国で1200トン、一尾10グラムとすれば 1億2000万尾ものアユが放流されているそうだ。放流アユの子は海に下っても適応できずに死滅して世代交代に役立たないし、冷水病の原因とも考えられている。

 高知県の物部川は上流にダムがありアユにとって決して住みやすい川ではないが、 「漁協では放流一辺倒の増殖対策に早くから見切りを付け、天然資源を増やすための方策に地道に取り組んできた。その結果二〇〇四年は何十年ぶりとも言われる大量遡上に恵まれ、ダムの下流河川は放流なしの「100%天然アユ」で解禁を迎えた」という。天然アユを殖やすためにやったことは、親アユを保護するための禁漁期や禁漁区の設定、産卵場の造成であった。しかし、理屈通りいかないのが現実で、ダムの存在や山の荒廃が流水量の不安定や川底への砂や泥の堆積となってアユの産卵活動の妨げとなり、また砂浜のある海岸の減少は稚魚の成長を困難にした。天然アユ増殖の問題 は結局山と川と海にわたる自然環境の問題となるのだ。しかし、天然アユを殖やす可能性は見えてきた。
 
 柿田川の清流を守るためには関係自治体をはじめ、みどりのトラストや湧水保全の会によって土地の買収や借上げ、環境調査などをはじめ富士山麓の植樹活動まで行なわれている。漁業組合も放流をやめて、柿田川や狩野川で生れた子アユが大きくなってたくさん川に戻ってくる対策に傾注すれば、「狩野川のアユは100%天然アユ」と胸を張って言える日がくるのもあながち夢ではなさそうだ。その日が一日も早いこ とを期待しよう。
 
 この再訪からもう何年も経っている。はたして柿田川の環境は変りないだろうか。狩野川のアユは天然アユばかりになったろうか。三島の町のウナギの老舗も懐かしい。というわけで柿田川の再再訪を楽しみとしよう。