東京に住んでいると、遠くに出かけるときには新幹線に乗るか飛行機を利用して旅を組み立てようと誰でもすぐに考えてしまう。時間のない人や乗り物に乗っている時間は少しでも短い方がいいという人にとってはそれもよいだろうが、時間をかける各駅停車の旅も またよいものである。安いし座席の心配をする必要もない。

 車窓の景色に飽きたら頻繁に入れ替わる乗客を観察すればよい。私に絵心があれば気付かれないようにスケッチをしたいとよく思う。ローカル線でも見かける携帯電話に夢中な高校生など今和次郎のいう考現学の素材がいくらでも転がっている。集中して本を読めるのも私は若い頃から不思議とこうした車内であった。

 同じような考えの友人と朝 8時に高尾駅を出発して妙高高原に向かったのは北陸新幹線の開通よりだいぶ前の5月下旬であった。新緑と山菜を楽しもうというわけである。松本まではこれまでも乗る機会が多かったが、松本から長野に向かうのは実に久しぶりだった。

  列車は高速道路と絡み合うように山地を走っていくが、やがて田毎の月で知られる姨捨(おばすて)駅に着く。善光寺平に急傾斜で落ち込 む山肌に作られた棚田が駅からもよく眺められる。目の下はるか遠くには千曲川やしなの鉄道(旧信越本線)に沿って町並みが続いている。

 列車が駅を出て気付いたのだが、この駅はスイッチバックになっていたのだ。一旦バックした列車は快適に急勾配の線路を稲荷山駅に向かって下っていくが、途中で交換のためにスイッチバックの引込み線に待機している列車まで見てしまった。中央線では笹子駅や勝沼駅などいくつものスイッチバックの駅が昔はあったが今は一つも残っていないので東京近辺のJRではそれはもう過去のものと思っていた。だから思いがけず姨捨駅でお目にかかったときには昔の鉄道青年はわけも なくうれしくなってしまう。
 

 
 妙高高原駅の少し手前からの妙高山の眺めはすばらしい。赤倉山、前山の上に高くそびえる主峰(2446m) とその左右に広がるスロープの大きさは百名山の一つにふさわしい。 池の平に宿を取った私たちは翌日杉野沢温泉から笹ヶ峰に向かった。大きなゲレンデの脇 をジグザグに登ったあと笹ヶ峰牧場を経てダムに着いた。

 関川をせき止めて出来た乙見湖周辺の新緑は今がちょうど見ごろで、気持よい風に吹かれながら眺めるダム周辺の新緑、 湖面のかなたにそびえる雪がたっぷり残った焼山と火打山の眺め、振返れば新緑の木々の上に黒姫山が黒くそびえている。肝心の妙高山は近すぎて見えないが、なんとも贅沢な眺めだ。

 お椀を伏せたような焼山(2400m) は雲が切れてその特徴的な姿をよく見せてくれたが、その右手に盛り上がるような稜線を見せてそびえる頚城(くびき)三山の盟主火打山(2462m) の雲がなかなか切れず、『日本百名山』 の深田久弥が 「こんなに一点の黒もなく真白になる山は、私の知る限り加賀の白山と火打以外にはない」 と讃えたその白い山容のすべてをなかなか我々には見せてはくれなかった。ふと足元を見ると花の終ったばかりのカタクリがいくつか目に付いた。やはり気候は平地より確実にこの高地では遅いのだ。

 このダムに来る途中の笹ヶ峰牧場の辺りには学校の山の家がいくつか建っているが、京都大学のヒュッテと早稲田大学ワンゲル部の山小屋ように西と東の学校が混在しているところに、わが国のスキーの歴史とともにあるこの高原の交通からみた位置の特色をみる思いがする。
 
 
そして、この牧場からの眺めがまたすばらしい。道路は1330mくらいのところを通っているが、南の谷に向けての下り斜面の地肌は見事な緑でそこに大小のダケカンバ(岳樺)が 新緑を見せて立っている。視線を上に移すと山の緑の上に黒い山肌を見せ始めた白い山が連なっているが、手前が下り斜面だけに山の姿はひときわ立派に見える。

 正面に大きな山容を見せるのが高妻山(2353m)、その右手の三角形のピークが乙妻山(2318m) で、高妻山は戸隠連山の最高峰だ。そして左手には標高はやや低いが大きな山容の黒姫山(2053m) がそびえている。地図を見ると高妻山 ・ 乙妻山の上を新潟県と長野県の県境が通っているので、いま我々は信越国境の2000mを越す山々に囲まれた新緑の高原で至福のひと時を過 していることになる。

 山の紅葉を愛でる人は多いが、私には山の精気がほとばしり出るような新緑の方が魅力的だ。常緑樹の暗い緑とは対照的な、明るい、色とりどりの盛り上がるような新緑は、このような山の中までくればその感動もひときわ深まる。2400m を越す頚城三山は、深田久弥も指摘するように日本アルプス ・ 八ヶ岳に次ぐ高山の連なりなのだ。
 

 
 こうした山々には大小の池沼が点在して山の植物の宝庫となっている。池の平に着いた日にいもり池でミツガシワの白い花を見た私たちは翌日黒姫山の古池に向かった。古池へは山麓を南に半周して新潟県から長野県に行くことになる。
 
 
黒姫駅から戸隠に向かう道に入って西に走り、登山口に着くと車を置いて大きな隈笹を切り開いた緩やかな登山道を登り始めた。カッコウやウグイスが鳴き、ひんやりとした空気が顔に心地よい。しかし、雨が降ったばかりなので道が悪く、仕方ないので脇の笹を踏んで歩くと泥で汚れた笹がはねてズボンは泥だらけになる。

 だが、そんな思いをしながらたどり着いた古池は本当にすばらしかった。川にしろ池にしろ水は景色を引き立ててくれる。対岸に姿を見せる穏やかな、迫力のない黒姫山の姿(富士山だって山腹から眺めればそうだが)。時折ガスで山は隠れるが間近な池畔の新緑から遠くの山肌の新緑へと何度も目を移しては言葉を失って眺めていた。 薄くガスがかかったりするとまるで紅葉の景色のようになるから不思議だ。

 
池のすぐ西にはあまり大きくはないが湿原が広がり、その真ん中を山頂へ行く木道が通 っている。この辺りの土は酸性が強いのだろうか湿原の中は鮮やかなレンガ色だ。花盛りを少し過ぎたのかだいぶ葉が伸びているミズバショウの白い花がまだたくさん見られた。花 も葉も普通のものより小ぶりに見えたが姫性なのだろうか。一方リュウキンカの黄色い花 はちょうど見ごろで湿原いちめんにミズバショウの白と混ざり見事な景色を作っていた。

 何よりも人のいないのがよかった。池といいこの湿原といい殆ど他のグループには会わなかった。登山口に置いてあったいくつもの車の主は、いずれも景色よりは山菜とりに忙しいこの近辺の人たちのようだ。湿原の周囲の木々はその薄い緑を陽光に輝かせ、岸辺には ニリンソウの大きな緑のじゅうたんが白い可憐な花をたくさん咲かせていた。
 

  
 ところで今度の旅のもう一つの目的は山菜を味わうことにあった。もともと今回のこの小さな旅は山菜の話から始まったといえる。私はこの頃は新潟県の入広瀬村に山菜を食べに行くことが多かった。この村は上越線の小出駅で只見線に乗り換えて30分ばかりのところにある。 守門岳と浅草岳の麓にあたり 「さんさい共和国」 を宣言して野山の幸資料館や温泉まであるので、友人と民宿に泊って野山の幸をたっぷりと味わうのが新緑の季節の私の楽しみだ った。

 この話を聞いた高田(上越市)に住むK君が 「山菜のおいしいのは入広瀬ばかりではないぞ」 とつぶやいたのがきっかけで今年は幹事役を引受けることとなり、そのおかげで今回の新緑と山菜の会が実現することになったわけである。

 幹事役が親しくしている妙高高原池の平の宿の主人が準備してくれた摘みたて山菜の料理は次のようなものであった。コゴミ ・ ヤマウド ・ タラの芽 ・ ヤマブドウの若葉 ・ ハンゴ ンソウなどのてんぷら、ウルイの辛し和え、ヤマウドのごま和え、アマドコロのおひたし、 アケビの芽の巣ごもり、ワラビのしょうが和え、ネマガリダケのタケノコのみそ汁などなど。新潟の銘酒を飲みながら山菜の味くらべをしたりして夕食の席が大いに盛り上がったことはもちろんだが、日ごろテレビのグルメ番組を馬鹿にしている私としてはこれ以上食 べ物の話をするのはやめておこう。翌日の新緑めぐりを楽しみに、摘んだばかりの山菜をたくさん食べられて大変満足した一夜だった。

 この時は山に来てその頂きは一つも踏まなかった。しかし、雪のまだ残る山稜を背景にして爽やかな風に吹かれ小鳥の鳴声を聴きながら眺める山の新緑に、本当に心を洗われる思いを私は深く味わったのだった。