だいぶ昔のことになるが、余呉湖の民宿に泊って琵琶湖との間に聳える賎ヶ岳に登ったことがあった。ガラガラと音のするリフトを利用して頂上に立つと南には琵琶湖の北の端が見え、北に越前の空を望むことができる。この山の辺りがちょうど人間の首のようにくびれていて、ここを制するものが北または南にいかに有利であったかが実によく分かった。賎ヶ岳の戦いは遠く豊臣秀吉の時代のことだが、今も鉄道や道路がこの狭い場所に集中して交通の要衝となっている。

 琵琶湖の南のほうは明るく暖かい感じがするが、マキノ町 ・ 今津町といった湖北の西の方は山が迫り平地が少ないこともあって暗く寒い印象が強い。しかし人々の生活の場として、歴史の舞台としてこの地はほかのところに決して遜色がないといえよう。

 若狭から京都への道は、小浜から今津に向かい途中の保坂
(ほうさか)で南に方向を変えて大原三千院の近くを通っていく鯖街道と、保坂から そのまま東に向かって今津に出て船で南に向かうルートがあった。今津の北には海津 (マキノ町)、すぐ南には木津(こうつ,新旭町) とこの辺りには港を意味する 「津」 のつく地名が目につくことからも水運の盛んだったことが窺われる。木津は古津でそれに対し て新しいという意味で 「今津」 なのだろうか。今津はまた竹生島の宝厳寺参詣の船着場としても賑わってきた。 こうした古い歴史をもつ今津の辺りにはなんとなく惹かれるものがあり何回か足をはこんだが、なかでも今津の宿で食べた鴨すきは忘れがたい味だった。
 

 
  私が初めて今津に泊ったのは車で京都に行ったときだった。その頃は子供が京都の大学で勉強していたので時々東京から京都まで車で行ったが、たいていは京都東 IC から京都に入った。そこで、たまには別の道をと考えて湖西にまわり、今津・安曇川(あどがわ)を経て途中から鯖街道を走ったときに寄り道をした。

 観光案内所に紹介された湖畔の小さな宿は福田屋といった。琵琶湖を背に道路に面 して並んだ家の一つだがいかにも古そうな建物だった。荷物を置くと宿帳の記入を求められたが、そこには右からの横書きで 「御尊名申受」 とあり、「毎々御引立に預り有りがたく万事行届ぬ処御用赦下さい」 と縦に書いた左に住所・氏名などを記入するようになっており、「御身分」 「宿泊事由」 といった欄もあった。そして洗面所の大きな鏡には戦前の年月と寄贈した陸軍の部隊名が書かれていた。戦前は町の南西に広がる饗庭野(あいばの) に陸軍の演習場があったという(現在は自衛隊の駐屯地となっている)。おそらく軍の関係者がよくこの宿を利用したのであろう。なにやら戦争の時代にタイムスリップ したような気分になったが、酒のつまみに出た子持ちモロコの焼いたのがおいしいのに驚いたのを覚えている。

 この時は、「ザゼンソウが見頃だよ」 と教えられて小浜への道をしばらくいったところにある自生地に見に行った。小さな川の脇の湿った林の中に坐禅中の達磨さんを思わせる濃い臙脂色のザゼンソウがいくつも咲いていた。町の道路には消雪のための小さな放水穴が並んでおり冬の寒さを感じた。
 

 
 
 
 2度目に今津を訪ねたのは翌年の3月だった。琵琶湖の東側の長浜から船で竹生島に渡り、西国札所でもある古い歴史をもつ宝厳寺にお参りしてふたたび船に乗り今津 をめざしたが、だんだん小さくなる黒々と樹木の生い茂った竹生島を眺めながら心は鴨の味を楽しみにしていた。福田屋の並びにあるやはり古い小さな旅館丁子屋がおい しい鴨すきを食べさせてくれるというのを聞いて、時期が少し遅いかと心配しながら電話したところ運よく泊れることになり友人と三人で出かけた。

 髪の毛を短くした小柄な主人小原勝利さんに迎えられて奥の部屋に通された。ガラ ス戸の向うはすぐ琵琶湖の岸で、部屋の境はふすま一枚だ。すべてが昔からのまま、格好をつけようとしないこの雰囲気が都会に住んでいるものにはなんともたまらない。 玄関に近い部屋にもう一組鴨すきの客がいるようだった。
 
 
 
 
 間もなく部屋にコンロが運ばれていよいよ楽しみにした夜が始まった。まずは新鮮 なモロコを炭火で焼いてショウガ醤油で食べる。淡白な味だがうまい。いくらでも食べられてしまう。モロコは琵琶湖の冬の味だそうだ。コンロがはめ込まれた丸い食卓には、春先が旬の氷魚(ひうお。鮎の稚魚)の佃煮とコイにフナ子をからませた刺身が出ている。 酒は地元の池本酒造の純米吟醸 「長寿」、さらに蒲焼と肝の串焼が出る。これは炭火に あぶって食べる。どれもおいしくて酒がすすみ、話がはずむ。時間が静かに経っていく。

 
 
 いよいよ主人の登場である。大皿に盛られた鴨の肉が見事だ。野生だからだろうか合鴨と違って濃い赤身で脂身が少ない。野菜の皿にはネギ ・ シイタケ ・ セリ ・ エノキダケ ・ 焼豆腐が並ぶ。出汁を入れた鍋がコンロに置かれてまず野菜、次に肉がのせら れて、その上に砂糖と醤油が大丈夫かと思うほどたっぷりとかけられる。あとはいっ さい調味料を足さない。この最初の量で味が決まるので緊張する一瞬とは主人の言。

 私たちは取皿に取り分けてくれる肉と野菜を食べ、酒を飲むのに忙しい。主人がつききりで面倒をみてくれるので安心して食べることに専念できる。鴨料理のあれこれではなく鴨すき一筋の苦心談、鴨の季節になると毎年やってくる有名・無名の人たちの話など話題は尽きない。昔は琵琶湖で鴨はいくらでも捕れたが、今は禁猟なので丁子屋では北陸で捕らえた青くび(マガモのオス)を使っているそうだ。地元の醤油や酒で楽しむのがいかにもうれしい。そしてそれを裏で支えているのが同じ町の湖魚や鴨を扱う人たちだ。人々の生活が琵琶湖とそれを取り囲む自然と共存している姿にある種の感動を覚えた一夜だった。
 

 
  翌朝二階の窓から湖を眺めていると、水際に捨てられた鳥や魚の臓物などを、それを待っていた鳥たちが争うように持っていく光景がみられた。まさしく自然の循環、都会の人間が失っている生活の姿があった。かつてNHKのテレビが 「映像詩-里山」 と題して琵琶湖岸に住む人たちの湖や水の流れと魚や虫たちとの共生のようす、人と自然が織りなす水辺の風景を美しい画面で伝えてくれたのがあらためて心にしみた。