鎌倉のシンボル大仏(国宝)の修復が完了して再びその姿を見せてくれた。写真はその数日前のものだがクレーンや覆いの一部があるこんな眺めは二度と見られない貴重な写真と言えなくもないだろう。
 
修復中は大仏の全面が覆われて拝観料なしだったがそれでも観光客は絶えなかった。人気のほどが分かるが外国から来た人たちには気の毒な思いがしてならなかった。そういえば私にも似たような経験があったことを思い出す。
 
パリのパンテオンのJ.P.ローランスの大壁画が見たくて出かけたのだが修復中のために希望がかなわず、改めて翌年行ったところがまだ修復が終っていなくてついに今日まで見ることができないままでいる。ローランスは彫刻家ロダンの親友だが、おそらく彼の大壁画を私はもう見ることはないだろう。
 
それはともかく、大仏は露座だがもとは建物の中にあったことが今も周りに大きな礎石がいくつも残っていることで分かる(写真)。大仏はこんなに大きいのになぜか建立の事情やその後の様子は意外と詳しくは分かっていないらしい。
 
大仏殿はいつなくなったのだろう?
 
最近言われているのは明応 4(1495)年 8月15日の大地震と津波で流されたという説で、その根拠は 『鎌倉大日記』 という記録に 「八月十五日大地震洪水、鎌倉由比浜の海水が千度檀(段葛?)に到り、水勢が大仏殿の堂・舎屋を破り、溺死人二百余」(原漢文) とあることによるようだ。寺の説明板には明応 7(1498)年の津波で流失したとある。
 
いずれにしても、大仏はもう500年以上も露座のままだということになる。
 
ところが京都相国寺の僧万里集九の書いた 『梅花無尽蔵』 には、文明18(1486)年10月に鎌倉を訪れた時には、堂はなくて尊像は露座であったと記されているそうである。これが事実ならば明応 4年の 9年前のことなので、大仏殿はそれよりも前にすでに失われていたことになる。
 
はたして大仏殿はいつなくなったのだろうか。あの大きな阿弥陀仏のことがよく分からないとは不思議なことである。
 
昨年11月に 「鎌倉震災史」 というテーマの特別展が鎌倉国宝館で開かれたが、それを見て改めて大震災が繰り返して起こっていたことに驚いたのを覚えている。この時に手に入れた資料で、上のように 「大仏殿がなくなった時期がはっきりしていない」 ことも知ることができた。
 
ところで、鎌倉幕府の記録 『吾妻鏡』 には災害の記録が多く残されている。その一端を紹介しよう。
 
建長 5(1253)年 6月10日、「晴れ。未の刻に大地震。近年、類のないほどであった。またしばらくして小さな地震が一二度あった。」

 

 建長 6年 7月 1日、「大雨、暴風。民家が顚倒し、農作物が被害を受けた。古老がいうには、二十年来、このような大風はなかったという。」

 

 正嘉元(1257)年 8月23日、「晴れ。戌の刻に大地震。音がして、神社・仏閣で一つも無事なものはなかった。山岳が崩壊して民家は転倒し、築地はすべて破損した。諸所で地面が割れ、水が噴き出した。中下馬橋の辺りの地面が割れ、その中から炎が燃えだした。(炎の)色は青という。(9月4日) 小雨が降った。申の刻に地震があった。先月二十三日の大地震の後、今に至るまで小さな揺れは止むことがない。」

 

 正嘉 2年 8月 1日、「暴風が激しく吹き、大雨が降り注いだ。日暮れになって快晴。諸国の田園が全て損亡したという。」

 

 文応元1260)年 6月 1日、「暴風雨。洪水で河辺の民家のほとんどが流失した。山が崩れ、多くの人が大岩のために圧死した。」(現代語訳 『吾妻鏡』 14・15 より 吉川弘文館)

 

上の記録では正嘉元年の地震がだいぶ大きそうだ。「神社・仏閣で一つも無事なものはなかった」 とあるが、当時は建長寺の伽藍が出来始めたころで円覚寺はまだなかった。大仏については、寺の入口の説明板に 「建長4年(1252に到って現在の青銅の像を鋳造し大仏殿を造って安置した」 と書いてある。
 
大正12(1923年の関東大震災では円覚寺などの建物に大きな被害が出ている。正嘉元年の地震が関東大震災級であったとすれば、出来たばかりの大仏殿や建長寺の建物は大丈夫だったのだろうか。
 
『吾妻鏡』 には大仏殿がなくなったというはっきりした記録はないようなので、1252年に建てられた大仏殿は記録の最終年1266年から1486年までの間に大地震か大津波か火災で失われたと考えるしかない。ただし大仏の現況からして火災の可能性は低いかと思われる。

 

 

 
この日は長谷寺で一休みした。高台に建つ巨大な観音像を祀る本堂の前からの由比ヶ浜と遠く続く三浦半島の眺めは、日頃海の眺めとは縁のないところの住人としては心休まるものであったが、2011年3月11日の経験からは、鎌倉の町は万一の大地震と大津波にあまりにも無防備ではないかという思いを禁じえなかった。