
やっぱ“ナマ”はエエなあ
!!ダンサブルでアップテンポな曲も良いけれど、ドラマティックでダイナミックな曲を歌わせたら、彼女の右に出るディーヴァはおらへんのとちゃうやろか
と思う。そんなMISIAが
ウチは
……好き

年末発売のカヴァーALが楽しみやし、年明けの再来阪ライヴも絶対会いに行くから、待ってるで~煜


!!
と思う。

ツイッター上での高岡蒼甫氏の発言に関し、ここ数日物議を醸している。私はこれまで敢えて沈黙を守ってきたけれど、論争が益々エスカレートしており、このまま黙っているもの癪ヽ( )`ε´( )ノなので、私も少々書かせてもらうことにした。
氏は、放送局批判と、韓国人及び韓国文化への差別を“ないまぜ”にして発言しているようだ。
“8”局の番組編成に対し、芸能人が盾突くのはご勝手だが、TV局側は決して「お仕着せ」だけでは放送するメリットが無い。それなりの視聴率を見込んだ上で、また、それだけの需要が人々にあるからこそ、韓国ドラマ等の放送枠を取っているものと私は察する。
それはつまり、今の日本のTV番組・映画・音楽等が、世間の人々にとって「魅力がない」という裏返しに繋がっているのではなかろうか。決して、TV局に踊らされたり無理矢理に見させられている訳ではないはずだ。
事実、某TV局の日曜ドラマ『J●N』が、第1シリーズ・完結編ともに高視聴率をキープできたのは、それだけこの作品が「おもしろい」と人々に受け入れられた証だといえよう。
どこぞの独裁国家ならいざ知らず、この日本では、“8”局の韓国モノを見るも見ないも個人の選択に任せられているのだから、氏が見ないのは全くの自由だ。どうぞお好きなように。
しかし、韓流文化への「気持ち悪い」「自分の国に帰って活動しろ」などというような発言は、それとは全く別の問題であり、明らかな差別発言だ。私からすれば、彼の「ただのやっかみ」としか思えない。
氏の言動に大きな矛盾があることに、彼自身は気付いていないのだろうか?それは、宮本亜門氏演出の舞台『金閣寺』のニューヨーク公演に出演することである。
この舞台は日本語で上演され、英語の字幕が流される予定だと聞いている。そのことに対して、彼は何の違和感も感じないのだろうか?
氏の言動をここで当てはめるとすれば、「Hey、ジャップ達!日本作品の日本語公演なんかアメリカでやるな!そんなモノ見たくもないから、すぐに日本へ帰れ!」と言われているのと同じではないか!
また或いは、レディ・ガガやマイケル・ジャクソン、ビートルズ、ブラッド・ピット、ジョニー・デップ等に代表される欧米人文化に触れることに対する抵抗はなく、今回と同様の言動をとったことはあるのか? むしろ何のためらいもなく好んで享受しているのなら、それは全くの「欧米コンプレックス」であり、「韓流文化」ひいては「アジア文化」に対する差別と受け取られても当然だ。愚弄するにも程がある。
映画『8月のクリスマス』『シュリ』等による初期韓流ブーム、ドラマ『冬のソナタ』に始まった本格的かつ今までにない程の韓流ブーム、そして最近のK-popの目覚ましい台頭…。これらの一体どこが「気持ち悪い」のか?
“8”局問題と同様で、単に日本制作の作品が、それらに比べて「つまらない」「不満だ」という、世間からの自然な欲求・メッセージのように私は考える。
韓国文化のブームは、何も日本に限った事ではなく、台湾や中国、シンガポール等の諸外国においても起こっている。氏はそれをご存じだろうか? 紛れもなく“韓流パワー”の表れだといえよう。それについても「気持ち悪い」と彼は考えているのだろうか?
韓流芸能人は、実に努力家が多い。アジアを中心としたブームに奢ることもせず、国内外のファンを大切にし、タイトなスケジュールの中、日本語や英語・中国語なども勉強し、「いい作品を作ろう」と日々様々な面で励んでいる。中には、慣れない異国で、“合宿”のごとき共同生活をしながら、日本に滞在・活動する人達もいる。
それらを全て無にするような言動は、氏に限らず控えて然るべきだ。
それにつけても、氏の知名度は如何なものか? 日々の努力はどうしているのか? いつまで経っても「宮○あおいさんの夫」という肩書が付いて回り、それでもまだ「それって誰?」「何してる人?」と、少なくとも私の周囲の人達の間では思われているのが現状だ。
ハリウッド映画やグラミー賞、またカンヌ国際映画祭etc.、海外(特にアメリカ)進出に対しては積極的な日本の芸能人が多い中、氏は何故NY公演に出演しようと決心し渡米したのかと、出来ることなら、私はその真意を彼に是非問うてみたい。
とにかく、放送局批判をして氏が「干される」のはご勝手だが、他国文化への差別と“一緒くた(ゴチャ混ぜ)”に発言するのはいい加減に止めて、己の“慢心”を省みていただきたい。
以上、高校生時代から韓国語を勉強し、何度か訪韓もしている一個人からの意見である。





