この世界の成り立ち①から続きます。

 

 


まず、いきなり結論から言うと、不幸を感じる理由には分離と罪悪感が挙げられるとわかりました。

分離とは他者と自分のがかけ離れた存在であることと、そして罪悪感とは罪の意識を持ち、それによって苦しんだり、幸せを感じることが出来ない、もしくは幸せになる許可を出せない状態だと思います。

それらは、心を幸福感から遠ざけてしまい、そのために生き辛さを感じたり、生きることがとても困難に思えてしまうのです。

罪悪感はともかく、まず分離とはいったいどのような状態でしょうか。

皆さんは、自分と他者が繋がっていることを信じることが出来ますか。

ーあまり信じられなけれど、それぐらいならまあなんとかそう思えるかも。

ー何となく気持ちが伝わることもあるし。

では、これを書いている私と読んでいるあなたは同じ存在だったらどうですか。

ーいやいや、そんなわけないでしょ?!

さらに、周りにあるすべてのものががあなたであり私であったらどうですか。

ーごめんなさい。信じられません。そんなわけないですから。

ありがとうございます。それが普通の反応です(笑)

まずはそれでいいのです。

ですが、残念ながらこれを書いている私も、読んでいるあなたも、戦争をしているあの人も、平和を唱えるこの人も、そとで鳴いているあの動物も、そこにただある植物も、たくさんの建物もすべて同一存在です。

そして、それらは自分が創り出した世界なのです。

何でそうなる?という疑問があるとは思いますが、ちょっと一旦この話からは離れます。

ところで、皆さんは自愛という言葉を聞いたことがありますか。

文字通り、『自分を愛する』です。自分を愛するというと、ほとんどの人が自分が好きなものを食べたり、自分を癒したり、自分を褒めたりすることを思い浮かべるでしょう。

もちろんそれも合っています。

ただ、あの言葉には少し足りないところがあると思います。

自分を愛するというのは、自分という個人を愛するのではなく、自分の創った世界を愛するという意味です。

では、自分の創った世界とは一体何でしょう。

はい、ここで先程の『私もあなたも同じでー』という話に戻ってきます。

ここからは少しスピリチュアルな表現になります。

私達は、大きな宇宙意識の中で、個人もしくは個体と思えるものとして存在しています。

その根底は根っこが繋がった状態であり、宇宙意識とは集合意識とか潜在意識とか表現はいろいろあるかもしれませんが、とにかくすべての大元の部分であるというイメージです。

その中で、私たちはまるで違う存在かのように分離しているように見せかけ、その実、それぞれが経験したいことをしているにすぎません。

ですので、私であってあなたであり、それぞれの個体としては存在せず、まるで人間の一つの身体が小宇宙を作っているのです。

こう考えればイメージできますか。

例えば、あなたの右腕が、左腕をうらやんだり、嫌ったりすることはないでしょう。

分離の感覚とは、右腕と左腕は身体の中の一つの存在にすぎないのに、比較したり、それによって苦しんだりしている状態だということです。

ですので、他者を見て比較したり、自分との違いに苦しむことは全く必要ないのだということに気が付きます。

続きは次回、罪悪感についてです。