良い言葉を使うこと。
 

一般的によく言われていますが、皆さんは良い言葉を使えていますか。

 

小林正観さんや斎藤一人さんは、ありがとう・愛しています・幸せなど、ポジティブな言葉を使うことで人生を好転させると言っています。

 

言葉には心を込めなくてもいいようですが、私は心から思っていないときにポジティブな言葉がなかなか出てこなくて、心の中でも思い続けるのが難しいなあと感じました。

 

というのも言葉は、心が楽しい!って思っているから自然と口から出るわけですし、心の中で不平や不満を抱えているのに、幸せ!という言葉が自然に出るのは難しかったのです。

 

それでも、良いことを言い続けることで、外側の現実と内側の思いを変えていくきっかけになると思いますが、皆さんはいかがでしょうか。

 

一般的には思ったことがそのまま口に出る、ということの方が多いかもしれませんね。

 

ある日の話ですが、私はとてもピンチな状況に陥っていました。

 

といっても以前から何とかしなければ、と思っていたのに、ずーっと解決できずにで、いつか何とかなると思っていたのです。

 

一応何かしらの対策や、それに伴う行動もいろいろ取ってみたのですが、何をやっても空回りばかりでうまくいきません。

それどころか、状況はどんどん悪化していき、努力すればするほど、自分でもわざと苦しいほうに自ら進んでいるようにしか思えませんでした。

もちろん、ありがとうございますとかポジティブな言葉を使い続けたり、好転するような行動もとり続けましたが、現実は何も変わりません。

 

いよいよ困った時に、私は心の中でこれ以上のない全力で、
 

『助けてください!』と思わず言ってしまいました。

 

本当にどうにもならなくてその言葉しか出てこなかったし、もう大声で叫びだしそうになっていたのです。
というか、叫んでいました(笑)

 

そして、何度も何度も心の底から『助けてください』と言ううちに、
ある瞬間にふっと冷静になって我に返り、

『あれ?今まで私は助けを求めたことがなかったんじゃない?』

 

と思ったのです。

 

周囲に頼ったり、お願いすることはありました。

 

しかし、それは根本的な解決ではなく、いつもその場を何とかやり過ごすだけの一時的なことでしたので、最終的には自分で何とかしなければならない状況は目に見えていました。

 

この言葉だけ見たら、
『助けてください』は、助けてほしい状況をさらに呼びそうだとか、その状況をずっと引き寄せるみたいなイメージがあったので、なんとなく言いたくなかったというのもあります。

 

また、家族や周囲を頼ることはあったので、すでに十分物理的な助けを求めていると考えていました。

 

ですが本当は、自分の奥深いところに対して根本的な助けを求めていたのかもしれません。

根源というか、そこに向かって助けを求めることが今までなかったのです。

 

それはなぜでしょう。

 

人生の『結果』をすべてコントロールしようとする、あるいはコントロールできると思うとき、助けは求める必要はないですよね。

 

『結果』について手放さないというか、結果がこうあるべき、みたいなものをつかんで離さない状態だったら、助けを求める隙間がないんですよね。

 

これは自力と他力の考えもあると思います。

他力というと、自分は努力も何もせず、他責であったり人に何とかしてもらうという風に考えがちですが、

 

他力の本当の意味は、自分の弱さや出来ないことを受け入れて、努力をした結果については手放し、大いなる力を信じて委ねるということです。

 

結果を手放さず、なんとかしようと躍起になっている状態は自力で頑張っているだけかもしれません。

 

ですので、『助けてください』は、他力の言葉ではないかと思ったのです。

 

ところが、結局自分の力を信用していない、どこかで心の奥で、
 

『そうは言ってもどうせできないのだろう』
『結局失敗することもあったじゃないか』
 

とか疑っていたので、結果を委ねることができなかったのでしょう。

助ける力がないと思っている人に、助けを求めることはしないですよね。

 

例えば、大人が子供に助けを求めることはあんまりないと思います。
なぜなら、子供には助けられる内容に限界があるからです。

助けを求めるということは、相手に助けられる力があるという信頼の証なのではないでしょうか。

 

心から『助けてください』という言葉が出てきたときに、それは私の中に助けられる力がある、と信頼して認めた瞬間でもあるし、

もしかしたら、この言葉を言わせるために、助けを求めなければいけない状況を作り、あえて自分がそう仕向けたのではないかとも思いました。

 

心の奥底の自分は、
『助けを求めてよ。そうじゃないと助けられないよ。信じて頼ってよ』
とずっと言ってくれていたのではないかと思うのです。

 

表面の自分も何とかしたいと心のどこかではわかっていましたが、
助けを求める自分を認めることも、信じきることもできていなかったのでしょう。

 

 

 

『読む』の投稿でも書きましたが、想念の傾向で、自分=○○な人、というパッケージのキャラクターを作ってしまいすぎると、そのように生きなければいけなくなってしまうというか、そういう役を演じて生きている場合もるのではないかと思うのです。

 

それは、自分=気の毒がる人とか、
自分=自分だけでやっていけると思っている人とか。

 

 

その場合、一つのキャラクターだけにスポットライトが当たって、自分はそのような人間だと考えてしまいがちですが、そうではなくて、実は他にもたくさんのキャラクターはいると思います。

 

その時、たまたま舞台上で光が当たっていただけで、実はいつでも何にでもなれるのではないでしょうか。

 

今まで『助けてください』という言葉が心から出てこなかったのは、ある意味それはとても幸せなことだったと思います。

 

でも、それと同時にその役だけでは限界があって、いろんな役を時々に応じて演じることも必要なのかもしれません。

 

経験は、例えどんな状況だったとしても、経験するということに大きな意味があると思います。

 

また、舞台を観に行った時全員がポジティブなことを言うわけではないでしょうし、言葉も役に応じたセリフでもいいのかなとも思います。

 

だから、ポジティブな言葉だけ言いましょうがつらいときは、無理をせずに、心の中から浮かんできたことを自然に口にしてもいいのかなと思いました。

 

今回強く感じたことは、
『助けてください=あなたの無限の力を信じます』とセットだということです。

 

ですので、助けてください、導いてください、とか苦しいときに自分に向けて、真剣に言ってもいいのではないでしょうか。

 

もちろん、家族や友人、周囲の人にも言ってもいいと思います。

 

これがきつい、あれが嫌だとただの悪口や批判になりそうだったら、
『今このような状況です。助けてください。』
 

と相手に言ってみるのもいいかもしれませんね。

 

いかがでしたか。
 

また長くなりましたが、今日もお読みいただきありがとうございます!