進みたい道や、やりたいことが明確に決まっていますか。

自分の思いに素直に生きることが出来ていますか。

そして、その思いを素直に感じることは?

私達は、自分の心の中を知っていると勘違いをしています。

私の心なのだから、きっとわかっている、と。

しかし、本当にそうでしょうか。

多くの人が、目の前の私という存在を

『わかった気になっているだけ』

ではないのでしょうか。

確かに、生まれた時からの付き合いですから、その時から何をどうしてきたか出来事はずっと見つめています。

ただその時に、私という人は、一体何をどう感じ、どう思ったのか、全てを細かく思い出せますか。

記憶力が高かったり、記憶に残るような衝撃の強い出来事、例えばものすごくうれしかったとか、その逆でものすごく辛かったことはたくさん思い出せます。

そうではなく、毎瞬毎秒心の中から出てくる、思いや感情、その感情の揺れ動きまでは鮮明に思い出すことは出来ないはずです。

思い出しても、段々劣化して来たり、もしかもしたら記憶がごちゃごちゃになっていることもあるかもしれません。

その中で、感じたこと、思ったことを思い出すのは至難の業です。

ですから、自分の事をわかっていると思っているだけで、

実は何も『知らない』のかもしれません。

では、今この瞬間はどうでしょう。

今感じたことを、認識できていますか。

鏡の向こうにいる、目の前の人をよく知っていますか。

本当の意味での生きる目的とは、私達はこの

『目の前の存在を知る』

ことではないかと私は思っています。

自分のことを知るためには、多くの材料が必要です。

例えば、いろんな経験をしたときに、様々な感情が出ます。

楽しいな、嫌だな、もっと経験したい、二度と味わいたくない…など。

その思いや感情をみて、私を知るのです。

行動が大事と言うのは、行動することや経験を積むことで、そこから湧き上がる感情や、思考を知るために必要だからです。

ですから、三日坊主でも今日でやめてもいい。

一瞬でも何かを経験することが、その感情を生むために必要だから。

そのために私たちは行動しているのです。

そのために究極の意味では、結果はさておき、始めの行動に重きを置き、それによって生み出される感情や思いを知るだけでいいのかもしれません。

続かない習慣はそのためにあると思っても良いと思います。

本質的には、続かないということを知る意味で必要なだけだったからです。

その時に、なかなか感情が出てこないとか、どこか気持ちに蓋をしてしまって思いのままに気持ちを出せないこともあるでしょう。

それは、今まで、自分がどこか素直な気持ちを出さないようにしていた可能性もあります。

こんなことを考えるなんてよくないもういい年なんだからそんなことできるわけがない

など、そういう感情や考えを持ってはいけないと、心の中で思いを抑え込んでいる時に、心の中ではこのような状況になっています。

『心からの感情や思いを隠さないといけない』

そうやって心を隠して生きているうちに、心はその本人にまで嘘をついて生きるようになります。

なぜなら、心の方が素直な気持ちを言えば、本人からは否定されたり、認められなかったり、出さないようにさせられるから。

もう心は本当の声を出すのが怖いのです。

出したとしても、どこかで信じてもいない。

どうせ言ったところでと、すでに諦めて、声を出すのをやめてしまっているのかもしれません。

ただ、始めの方に書きましたが、生きる意味が

『目の前の存在を知る』

ことであるならば、与えられた時間を使って、少しづつ知っていけばいいだけです。

始めから全てを知っているならば、人生は与えられていないはずですから。

ですから、何か出来事が起きた時、人と出会った時、普段の何気ない生活の中で、とにかく心をの声である感情、それはどう感じているのか、今何を思ったのかを認めるのです。

その時に、何をどう思っても、その考えを裁かず、または考えはいけないなどとは思わずに、ただ出てきたものそのままを観る。

それだけを繰り返します。

私達の脳は考えています。心は感じています。

その働きを止めないで、今この瞬間何を考え、何を感じているのかを知るのです。

中には、この考えや感情が自分の中から出てきたと考えたくないものもあるかもしれません。

その時には否定をしたり、責めたり、そんなことを考える私はダメだと思うのではなく、

なぜそう思ったのかどうしてそのような感情が出てくるに至ったのか

を、また心に聴いてみると良いでしょう。

いろんな自己啓発本やセミナー、スピリチュアルな人からの話を聞きのもいいのですが、

本当の答えは、心が知っている。

だから、心の声を聴き、私を教えてもらい続けること。

それが生きる目的ではないでしょうか。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!