心を落ち着かせたいなと思った時に、今なぜ、そして誰に、または何の影響によって心がざわついているのかを考えたことはありますか。

とても小さな感情の変化を見逃さないでおくと、それ以上状況が悪化するのを止めることもできますし、普段から目を向けておくことは、考え方のクセや、影響を受けやすいものを知ることが出来ます。

心が落ち着かない原因は一つではないかもしれませんし、様々な要因が複合的に結びついて、心を騒がせているのかもしれません。

ですから、その一つ一つを丁寧に紐解くように、見てあげることはとても大切です。

例えば、イライラした時に、それは何が原因かはっきりと言えますか。

もしも、職場の人間関係にイライラして、気持ちが爆発しそうになった時、その原因は果たして、職場の人だけでしょうか。

もしかしたら、昨夜寝不足で、普段なら許せたことを許せる余裕がなかったかもしれません。

低血糖になっていて、甘いものが欲しくてイライラが抑えられなかったのかもしれません。

また、昨日家族とけんかして、怒りが収まらない状態で職場に来たから、余計に頭にきたかもしれません。

今日は渋滞がひどくて、落ち着かない気持ちで出社したからかもしれません。

余裕がないくらい体調が悪かったのかもしれません。

応援しているスポーツ選手が、思ったほど成績を振るわなかったのかもしれません。

そして、最近退屈だったから、何となく刺激が欲しくて、怒りを出してみたかもしれません。

このどれにも該当はしないけれど、その人を見ているとなんだかとても腹が立つとか、あの人だったらゆるせるけれど、この人が同じことをしたらゆるせない、という事もあるかもしれません。

そう考えれば、誰かの正義とか、正しさと言うのは、時に曖昧で、その時の個人的な思いからジャッジされていることが多いのです。

だとすれば、私が『正義だ!』と腕を大きく天に向かって振りかざしたその姿は、私が『正義だ!』ではなく、

私(だけ)の『正義だ!』なのです。

ですから、その曖昧な、私の『正義だ!』が、本当の『正義』なのかを気付くためにも、考え方のクセをみたり、心をざわつかせて影響を受けやすいものは何なのか、に気付く習慣は必要かもしれません。

私も気持ちや感情を観ていると、様々な発見があります。例えば、過去に嫌なことをされたという記憶が強く残っている時、その嫌なことをした当人は、もうすでに関りのないところにいるのですが、

その嫌なことをした人と似たような傾向がある人に、強い怒りを感じることがありました。

もちろん、態度に表したりはしませんが、もしも、何もしていないのに勝手に嫌われたという事があれば、そういう理由もあるかもしれません。

相手に対して出てくる感情と言うのは、結局のところ私の問題なのです。

ですから、もしも、何の身に覚えがないのに、人からつらく当たられたり、理不尽とも思える状況であれば、

そのようにしてくる人に問題があり、その人自身に解消したほうがいい考え方のクセがあったり、消化されていない感情があるという事です。

ただ、そうはわかっていても当たられっぱなしは辛いし、気が付くと、される側の自分を責めていることもあるかもしれません。

その時には考え方を一歩離すのです。

同調するのをやめるという事です。

あの人はこうするのが正しいと言った。

それはあの人の考え方であって、私の考え方とは違う。

だけど、そういう意見も世の中にはあるという事だ。

そのようにして、相手の感情に巻き込まれないようにし、感情や意見の違いをしっかりと確立しておくのです。

そのためには、まずは自分の考え方のクセと、影響を受けやすいものを知っておく必要があります。

毎日小さな変化を見逃さないで、心の移り変わりをしり、また自分は何によって影響を受けているのかを正対することも大切なのかもしれません。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!