ふと目を開けると・・・・・・天井に埋め込まれているライトが視界を覆った。
・・・・・・・くるくる世界が回ってる。宙に浮いてる。
ここは、どこ?私は何をしてるんだろ・・・?
私は宙に浮いてるわけでも世界が回ってるわけでもなかった。
私はベットに横たわっていて、回っているのは私の「目」だった。
ああ・・・そうか、麻酔から醒めただけか。
こんな感覚初めてだ。身体の自由が利かないのに、脳みそだけはぐるんぐるん回転を繰り返してる。
事態のマイナス加減とはまるで逆で、私は麻酔の感覚を楽しんでいた。
なんだかドラッグやったときってこんななのかな。
すごく心地よくて・・・気持ちいい・・・・・・
お?足の指が少し動くぞ・・・あ、指も。
親指をわずかに動かすと、なにかが私の指にくっついていることに気づいた。
それは心拍モニターにつながっていて、私の鼓動が電子音となって部屋に静かにこだましていた。
指を動かすとその電子音はおかしなリズムとなって乱れる。それに気づき、しばらく遊んだ。・・・・ヒマだもの。
ヘタなラップ調の電子音で私の覚醒に気づいたのか、カーテンを開けて人がやってきた。
「○○さ~ん。どうですか?気持ち悪くない?」
「大丈夫です・・・・今、何時ですか・・・?」
「えーとね9時半。あと2時間ほどはこのまま休んでてくださいねー」
なんだ、30分しか寝てないのか・・・なんだか半日は寝てた気がするのに。
麻酔はその日の私にはものすごくよく効き、即効で深い眠りに落ちたあと、一切合財の感覚はなくなっていた。
効かないと痛みがひどく、壮絶なものなので恐れていたが、幸い1ミリも痛みはなかった。
10月11日。私は繋留流産の処置を受けた。
まさか続けて2度もこんなことになるなんて。
世の不妊に悩むご夫婦には申し訳ない程妊娠はたやすい私なのに(排卵日とか計算すれば100%・・・)、なぜ・・・・・・?
こんなことばかりが頭をよぎった。
初診の時から嫌な予感はしていた。
週数と胎嚢の大きさがなんだか違ったのだ。これは前のパターンと同じ。排卵の時期が遅れたんだろう、と医師は言ったが私は納得していなかった。
排卵したかどうかは本人の私が身体でよ~く知ってるから。
でもその不安を振り切ろうと、「早く心拍でろ、心拍でろ!」と祈り続けた。
すると7週ほどでなんとか心拍出現!
やった!これで乗り切った!!
両親にも喜んでメールを打ち、他にも会った拍子に何人かには発表してしまった。
でもそこから事態は一変。
「袋が・・・大きくなってないなあ・・・・・うーん」
と医師。
そこから私はがっくりと落ち込んでしまった。
子供への本当の愛情をままにゃで知り、心底産んでよかったと思ってきた日々。
愛おしいその存在をもういちどこの手に抱きたい。
無尽蔵に湧き出るその愛を分散させないと正直苦しいくらいままにゃを愛しているので、2~3人は産まないと(;´∀`)・・・
しかし無尽蔵が故に「分散」でなく「集中」になること必死なのは分かっているが(苦笑)
などと思っていた私を2度の流産という事実が幸せの淵から突き落としたのだ。
ベットの上で顔を横に向けたり、点滴の腕を見たり、他にやることがないので自分の身体をひたすら点検していた。
処置前に右腕に筋肉注射(痛み止めらしい)をされ、看護師さんから処置中に左腕にも打ちますからね、と聞かされていたので左腕を動かすと、なんだか痛い。
術着をめくってみてみると紫色のあざが出来てるじゃあないか。
寝てるからって新人とかヘタくそなヤツが打ったんか!?
・・・・腕はなんとその後1ヶ月以上痛みが残ったのである。
看護師がまた現れた。
「身内の方が見えてますけど、どうされますか?」
実家から両親がわざわざ来てくれていた。
こっちの家はみんな働いているので休むのも大変だろうということで助っ人にきてくれたのだ。
{これがどうやら義父母(特に義父)にはおせっかいと映っているらしいと知り、私のストレスを増幅させる要因ともなるのだが・・・・・・・}
実母とままにゃが入ってきた。
その日は雨だったのでままにゃは黄色いレインコートをいっちょ前に着込み、手には風船といういでたちで現れ、私の心をやわらかくしてくれた。
母は大丈夫?とひと言。うん、大丈夫と私。ありがとう、と言った後は、母がここへ来るまでのままにゃのマイペースぶりを語ってくれなんだか普通の会話をして笑い会っていた。
10分ほどで出ていったがままにゃは「ばあば」という強力なしもべを得て私は用無しなのか、
「バイバ~イ!」と実に軽いあいさつと共にあっさり出て行った。
母ちゃん、ままにゃにすがって欲しかったなあ・・・・・・・つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
2時間ほど休んだあと、ふらつきながら身体を起こし、迎えに来てくれた実父の車で家に帰った。
つらいことを文字にするのは散々迷ったが、これはあくまでも「日記」。
不特定の人が目にする可能性はあるものの、あえて人に聞いてもらう(読んでもらう)ことで自分の中で昇華させたいという思いもある。女はそういう生き物なのだ。
ただ書くのにエネルギーがいるので、ぼちぼちと、ね。
後味悪いので・・・・・近頃のままにゃ。
なぜかトイレに入る前、毎回トイレ前踊り場にてミニ・リサイタル開催。
エア・マイクにオリジナルステップでオリジナル曲を披露してからでないとおしっこに至らないのである。
困ったものだよ・・・・・
ちなみに歌詞のなかにはありったけのボキャブラリーがでたらめにちりばめられている。
わたしは~~~まに~~も~~(おそらく「何も」)~~おまる~~といれっとぺぱ~~~~~
曲が終わると共に「ありがとござまった!」と深々とお辞儀をする丁寧さ。
確かに曲を聴いていると「トイレにておしっこ排出のための決意表明」な歌に聞こえなくも、ない。