痛みと母との約束 | 美容家KIKIの日記


 癌の痛みとの戦い


退院してから


トイレがしたいわけ(ボケて?)、じゃなくて


『お腹痛い』からの、1時間おきに目が覚めてトイレに座る(何も出ない)ということがわかりました



本人はお腹痛いのが便秘だからだと思っているんだけど、それは病気の痛みなんだよねあせる



トイレに立つ以外は、ベッドで寝ているのですが、常にお腹が痛いといい、辛そうでした…



最初の2.3日は一時間おきだったんだけど、そのうち30分起きにいうようになり、


その度に座るけど何も出ない。尿も出なくなり、それまでトイレのたびにお水を欲しがったのですが


お水も要らない、となってしまいました(泣)


お腹痛い、背中痛い、を頻繁にいうようになり、はやく先生を呼んでほしいと言いました。


土日は看護さんもおやすみだったから、月曜になるのが待ち遠しかったです。やはり、動くたびに痛がり、苦しそうにしている母をみるのは辛かった。



 母との約束



癌の転移がみつかってから、母も私も家族も、覚悟はしていました。


日に日に体力もなくなっていたので、母もよく『動けなくなったらどうしてもらおうか?』とか、心配していました。


何より『早く死ぬのはいいけど、痛いのは嫌だ』とよく言っていたから笑



病気が進行したら、最終的に緩和ケアというものがあるから大丈夫だよ、と


痛みを取り除くことができる事を話して、安心させました。緩和ケア病棟の予約もしていました。


だから、痛い思いを一日でもさせたくなかったです。



そう思うと、父は痛みに強かったな。


父も癌で58歳で亡くなりました。最後の最後まで、本当に、血を吐いても仕事に行きました笑


自営業だったし、家族のためでしょうね


そして、最期まで緩和ケアを受けませんでした。というか、父の口から『痛い』という言葉を聞いたことがなかったです



当時の看護師さんが本当に痛みに強い人ですね、も言っていました。その時はわからなかったけど、今母の様子をみていると、もっと痛かったはずなので… 



昭和の男ですね笑


人に弱みを見せない、泣き言言わない父でした


私の強さは、父譲りですね!




父の最期も、私が駆けつけるのを待っててくれたので、息を吐きとる瞬間まで見届けることができましたよ^^



つづく。