哲学や仏教を真似ぶのに、なにかキッカケになったことはありますか?

という質問をちょうだいいたしました
\(^o^)/

匿名係長補佐見習としての
ミッション・レスポンシブル思い切って

やあやあ、いざ 音に聞け、
知らざば 語って聞かせやしょう〜立ち上がる

 ドクロドクロ 聞くも語るも クライ話を ドクロドクロ (T_T)爆弾

きっとつまらないから、おすすめできませんよ。(コトバ・シニフィアンとは鼻から借りのもの。よって以下の語りもふぃ、ふぃ、ふぃくしょん!(大魔王〜♪)誰じゃ人の噂話しやがって、いくらワシの男前が妬ましいからって―)



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母が後妻だったと聞かされる前の、ものごころ海千山千時代から、6歳離れた兄(ハラチガイ)からひどい扱いをされました、離れの部屋で出口をトーセンボされて。そんなわたしは、

誰の足跡もないはるか遠くまで行って、いつか誰も見たことのないものを見てみたいといつも夢みていました ("八日目の蝉"みたいな!?とも思う)

現実で出る杭をやるのは不可能でしたから
頭の中だけで。

雨が降るのが好きでした。窓からみると、庭の出口に隠れて置かれ濡れそぼった
母の靴が、さみしさの味に満足気。

雨だと、家出するのが厄介になるから

家族みんなが、今日は諍いすると面倒臭いぞと そんな、そんな理由で雨の日はケンカが起きない傾向にある。雨が降ると、

皆、他人にやさしくなる。自分のために

だから、
母が私をすてて二度と帰ってこない未来がとてつもない恐怖だと、
未体験を何度も身に沁みて経験していたわたしにとって
雨降りほどすこやかに安心して眠れた夜はなかったのでした。
♪sleeping heavenly peace . . .


そのころおばあさんは自分だけの仏壇にジャイアンみたいなダミ声で、ホーレンゲキョーと歌って聞かせていましたが、私をとって食おうとはしなかったようなので、きっと心からの良心を立派に備えていたのでしょう

佐藤俊明 師の「二つの月」のハードカバーが私の絵本でした。答えが書かれてない禅問答は、幼いわたしにとって無限の可能性だったかもしれません

学生のころ 宗教は大嫌い 当時の私にとって非科学的なそれは哲学ではなかったから。そのくせ. 知っている思想が宗教に含まれるとは、これっぽっちも認めませんでした。イギリス経験論って面白い。ドイツ観念論の魅力。いつの日か消化してみたい。でもなんでどれも、尻切れトンボな感じがするのだろう。同じ用語を使っているのに、語り手によって中身がちがうのに気づいたことがあります。ルソーとホッブズ、それぞれの社会契約説。ニュートンとライプニッツ、それぞれの微分積分。一水四見 人人唯識、儚いシニフィエはシニフィアンと繫がっていない、(なのに引きずり廻される)。君は小宇宙(コスモ)を感じたことがあるか . . .

大学生のとき提出論文に、吉崎御坊に伝わる、肉付の面 の話を書こうと思いました。(雪の深さも手伝って)外に開かれるのを禁じられた儒教的家制度が、嫁姑の役割演技を物象化し世代とともに拡大再生産してゆく。華岡青洲の妻と母。ストレスの黒幕は顔を出さない男性陣と秩序自縛だ。親に尽くし夫に尽くしやがて老いては子に尽くせ。この掟に誠実に従おうと努力を尽くした者がいかなる悲劇に堕っこちるか . . .なんてウソまでデッチ上げ。母の運命と苦しみを代理表現できるかも、と思ったものでした

おなじころ。学校名がはいった評論雑誌のページの片隅に、"遍計所執性"のフレーズが。いなや心が串刺しに。ICUの、丸山圭三郎氏が書かれたものでした。なるほどこの人は、ソシュール言語学というやつの研究者なのか。 . . .


そのときから"私の唯識"が始まりました、いつか自分の運命を代弁できるかもしれないものとして。折しも興福寺の復興と、阿修羅像の大ブーム。憧れはとどまるところを知らなかった。唯識三十頌、煩悩名がはてしなく羅列されたそれは呪いのお経に違いないなんて書評をみたこともあったかも。  しかしこれには私のことが書いてあるにちがいない。いつかこれを誰よりも深く理解してみせるぞ . . .

(みなさん眠ってしまいましたか!?…)

さてその唯識とはこれいかに!?
といったところで今回はお開きに🙇

♪ちょうど時間となりました . . .♬

(若旦那ー、お心づけはこちらですよ〜)