昔読んだ、佐藤俊明さんの本(「二つの月」)に

『"老婆心"が足りないと悟りがひらけない』

というのがありました。当時はまったく意味不明でした💦 そこで


『菩提心を因とし、大悲を根となし、方便を究竟とす』という

三句の法門、の逆解釈をするのですが


人さまにおせっかいを出している間、人間というものは. じぶんの迷いは棚に上げておくことができるようで、


するどい牙も爪もない私達は、進化の結果として  仲間を助け、種の存続に貢献している(と信じこむ)ことで  ひとり瞑想によるのよりもはるかに簡単に、不安から脱する、そういう本能があるらしいのです(理論よりも経験則ですが💦)    [cf.古代太平洋文化における"マナ"]


これはアドラーから学んだこと。


利他とはいいますが、


自分自身が迷いの無明の渦中にいるのに、そう簡単に人さまを救える なんてえらそうなもの言いではなく. 


"じぶんが楽になりたい"、その手段(方便)として  人様にちょっかいを出しているにすぎないのです(あくまで私の考えですが.)


利他の目的は 自分(が楽になる)のため

マザーテレサもそんな感じだったのではないかと..記憶🙇


で、これも『空』をポジティブに転用することのひとつと考えています. . . 


もしも結果オーライとなるのなら、それに越したことはありません💦









《追記》

ブッポーソーの「僧」 ・典座

かたりべの使命感

アウシュビッツの記録

生きのびること ↺↺ "意味"

自分のチカラだけでは生きられない(縁起・空)

など連想. . . 



《後記》

自分は何も努力しない人間なのに

マザーテレサけなすようなこと

言っちゃって

削除しようかな、と思っていたら

思いがけず、皆さんに読んでいただけてる

手応えを感じましたので💦

大変ありがとうございます🙇