(モナドに窓はない――ライプニッツ)
「他は是れ吾にあらず」(典座教訓)
仕事をシェアするな、と言っているのではありません
(ゲシュタルト="集" 執着、つまり"業")
因果のプロセスを噛み締めないと、修行/修業にならない、と言ってるのです
物理的につらい事をやりさえすれば修行になると考えるのは間違い(自らの心を引き裂いてしまいます)
[両箇の月]. 月は ふたつ あります
事実関係と同時に ココロの問題.
というわけです
本当に相手のためになることとは何なのか. [一水四見]…を突き詰めたうえでのことならば
老婆心も素晴らしい方便となるかもしれません…
因果のプロセスを噛み締める→達成感
精一杯やった!悔いはない…と思えたなら
それもひとつの道だと言えるのではないでしょうか