易学がはたした役割がけっこう大きかったかも!? というお話です


豊臣秀長が亡くなって、足利学校(直江兼続や天海僧正の母校)第9代校長が家康さまの味方についたのが関ヶ原の10年位前.

「あの人はこのような立場・事情を背負いあの場所に陣取ってる。さあ、書状に何と書けば(裏切って)こっちに味方してくれるだろう? 」

それを私情エゴを挟まずに分析しえたのが易学だったのでは!?
(そも"陰陽が混じりあう☯"という捉え方をすれば、"敵・味方"という概念もジャマな先入観にすぎない)…
関ヶ原ってまさにそんな状況だったかも。

その後の国替え・改易や参勤交代、幕府の構成・人事などにも大いに役立ったかもしれません。

(しかしヨリ重要なのは、当事者であるそれぞれ個々人が何を信じ、何を大切にしているか…ということの事実認定だとおもわれます。
主体の動機を考慮しないで客観性が担保されることははありませんから)

徳川政権下ではその後、朱子学を主流とし、易学は下火になったと。さもありなんとも、残念とも。

相手を知り、おのれを知って戦わず

今の世の中にとても必要だとおもいませんか.

イスラムもユダヤも北の国もぜんぜん知らないワタクシですがあえて。


"Wertfreiheit" (マックス・ウェーバー)





則天去私 
敬天愛人