世の中は 夢かうつつか うつつとも

 夢とも知らず ありてなければ

                         (古今和歌集: 詠み人知らず)


【唯識】とは、

【唯識所変】―〈私たちが感覚する現象はすべて、識(こころ)によって変じられたところのものである〉、という意味だそうです( アプリオリ. 先入観)


朝めざめて、気分が最悪。消えてなくなりたかったのに、まだ人生が続いてる。また一日が始まりやがった。大嫌いな朝の光、大嫌いな太陽・・・


これらのイヤな心象風景はみな識所変です.

私を機能させるOSの中枢部分が心的記録トラウマを材料にして出来ている(阿頼耶識)ため、いまここにあるすべての現象が赤方偏移して観測される..


〈阿頼耶識そのものは無覆無記"イノセント"であると…〉

だからすべてがイヤに思えたときも、そう思う自分が嫌いになったときも、よく眠れないのも、それはトラウマ記録とか生存競争本能プログラムのせいであって、その人(わたし)が悪いわけではありません。だから腹を立てる必要もまたありません。(現象学的還元. 脱構築. " 空 ")


ホントに大切なものは目に見えない。だったら苦しみだけがリアルじゃない。そう思えたなら、


くちなしの香りも、静かな木もれ日も、「ずっとあなたに優しくしたかった!」って抱き締めてくれるかも、しれませんよ。