マイノリティ・レポート | 悩んで立ち止まってまた走る学生のブログ

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 抜きん出る、つまり他者より優れるということは、マイノリティであることを受け入れるということだ。
 同時にそれは、幾らかの孤独感を携える覚悟が必要なことである。ある人格や価値観が本当に優れているとき、それは社会に広がる大衆には受け入れられない場合が多い。なぜなら、大衆に浸透する一般的、もっと言えば通俗的な価値観は、往々にして優れていることは少ない。これは、現代社会に蔓延する価値観が少なくとも優れてはいない、という論を前提としている。
 誤解を招きやすいのが、ここで取り上げる「優れる」という概念が、通俗的ではない、つまり社会における評価には関係しないということだ。学校を例に挙げれば、成績が良い、足が速い、賞をもらう、などという一般的な評価とは縁のない評価における「優れる」であり、非常に雑な言い方をすれば、性格や生活態度である。(雑である理由は、それらを評価している価値観も通俗的である場合が多いからである。)
 では「優れる」とは何か。それを一概に定義することは難しい。なぜなら、それは正義の指標ではなく、単純な量的概念だからである。生きる上で直面する様々な事象、もしくは直接体験せずとも想像することのできる事象について、どれだけ頭を悩まし、考え、苦しんできたか。そしてそこから自分の正しいと信じる方向性を導き出すという苦しい作業をどの程度繰り返してきたか。そういった思考や悩みの過程を表すスカラー量が大きいことを「優れる」と、ここでは定義している。重要なのはそれが決してベクトルではないということだ。正しい方向を決めるには、人類はまだ無知すぎる。
 社会に蔓延する価値観が優れていない理由は、社会が十分に思考していないからである。はっきりと述べると、現代社会を取り巻く考え方は非常に感情的で、短絡的だ。何が正しいのか、どの方向に進むべきなのかについて悩み苦しみことを、現代人は過剰なまでに嫌う。いかにして苦難なく幸福を手にするか、そればかりを追求する傾向がある。利己心や社会貢献など、そういった類いの問題を議論しているのではない。そういった類いの議論に真摯に向き合い、頭を悩ましてきたかどうかが重要なのである。
 ほとんどの人々が様々な事象への思考や吟味を投げ捨てている社会で、その社会傾向に抗うかのように思考に苦しむ人々はマイノリティであることから逃れられない。そして考えを深めれば深めるほどに、通俗的な社会との間を隔てる壁は分厚くなり、孤独感は増していく。そのため多くの人々はマイノリティであることを諦め、いわば放棄して、俗世間に飲み込まれていくのである。世の中は更に思考しなくなっていく。
 しかしながら、世界的に大きな、偉大な業績を成し遂げる人物は、確実にマイノリティである。これは疑いようのない事実である。なにしろ、偉大である人物は少数なのだから。つまり、進歩できる人間は、マイノリティである。孤独を恐れ、通俗的な評価ばかりを気にしていては、偉大なる業績を残すことはできない。
 このように、優れることには苦難がつきまとい、孤独を受け入れる必要がある。しかし、それは決して寂しいだけのものではない。マイノリティはその小さな集団の中で最も強固な絆を得ることができる。なぜなら、彼らには共有できる苦難や思考の経験が豊富にあるからである。そして彼らが社会を、世界を進歩させ、支えている。彼らの輪に入るかどうかは、個人の選択に委ねられている。