ここのところ話題の某バレエ団のYouTube。

「バイトして稼がないと」というかわいい子のサムネにひかれて見始めて、ずっと見ている。

不思議なものでダンサーさんの素顔が見えてくると、公演行こうかなと思う。

正直、国内のバレエ団の公演は近年ほとんど足が向かなかった。パリに住んで、あの豪華なオペラ座で世界最高峰の1つと言われるバレエ団の公演をたくさん見て来たので、会場も舞台セットも衣装も踊り手も何かもう一つ物足りなく感じてしまう。

 

そのバレエ団にロシアの名門バレエ学校で学んだという子がいる。バレエやってる人なら、世界最高峰のバレエ学校の1つと誰もが認識しているあの学校。確かにコメント欄で言われている通り、足首がちょっと弱いかなとか、回転苦手そうだなとかはあるけど、きれいなダンサーだと思う。

 

そういう指摘って「あのバレエ学校にいた」というのから出てることもあるよな・・・と思った。

他人からの期待値があがるというのだろうか。しんどいよなと同情してしまう。

 

私は日本一と言われる大学を出ている。卒業する時に総長から「皆さんはこの大学を出たという十字架を担うんですよ」というようなことを言われた。その意味は在学中からもなんとなく実感するところではあった。

 

「あの大学行ってるのに、こんなことも出来ないの? こんなことも知らないの?」

 

と言われたことは一度や二度ではない。日本一の大学に行ってたって出来ないことはたくさんある。知らないことだってたくさんある。なのに人からの「頭いいから何でもできるでしょ」という期待値だけがものすごく高い。

 

その期待値は子どもたちにまで向けられた。

「ママが頭いいから、〇〇ちゃんも頭いいのよね~」

言ったママ友たちに悪気はないのだろうが、特に子ども1にとって相当のプレッシャーになったらしい。「頭が良くなければ認められないと思っていた」と子ども1が言っていたことがある。

 

モラハラ夫は酔っぱらうと他人の前で「こいつはあの大学を出てるのに、こういうことをやらかした」的な私の失敗談を披露することが多い。私はそれが嫌で飲み席にダンナと出ることは極力避けていた。ダンナは同じ大学の出身ではない。私と結婚するくらいだから気にしない人なのかと思っていたが、酔うと言うということは学歴コンプレックスがあるのだろうか。

 

そんなこんなを考えていると、あの大学に女子が2割程度しかいないのを増やそうとしても増えないだろうなと思う。社会の受け止め方がいびつなのだ。女子にとって得より損のほうが大きそうなのに、わざわざ苦労して目指すかいな。もちろん、私は自分の出身大学が好きだ。知的好奇心を大いに満足させてくれる場所だった。良い仲間もたくさん出来た。学歴がハッタリ的に助けてくれたこともある。

 

だけど、大きい肩書きは時に仇となる。重い十字架となってのしかかってくることがある。若いうちはその重さがしんどいだろうなと思う。