武田砂鉄著『父ではありませんが』を読んでいて、ふと自分はなんで結婚して子どもを産んだのかということについて考えてた。

 

ケンカついでに子どもに「なんで子どもなんて産んだのさ。産んでくれなくて良かったのに」って言われることもあるんだけど、そういう時はあまり冷静に考えられていない。

 

端的に言ってしまえば、職業選択の1つとしての結婚と出産だったんだよなぁということ。結婚して子どもがいれば、専業主婦という免罪符が与えられる。ニートではない。でもやってることはニート。ニートの隠れ蓑としての専業主婦。

 

日本ではそれで「仕事しないで家にいる」と後ろ指を刺されることがなくなった。外国暮らしになるとそれはポリティカリーコレクトではないので、食えるほど稼いでもいないのに「フランス語の翻訳家」を名乗っていた。それで皆、納得してくれた。あの人はフリーランスで働いている人、ということで。

 

私は体力がない。過敏性腸症候群なので、電車に乗るのも、決まった時間にどこかへ行くのも、トイレのない空間に長時間いること(ドライブとか映画館とか)も苦手。

 

大学在学中に色々あって鬱になり、ひきこもった。就職活動期に重なったので完全に出遅れた。それで得意なフランス語を生かして自称「フランス語翻訳家」になった。こんなのなんの資格も必要ないので、名乗ったもの勝ち。ニッチな需要を掘り起こした。

 

その頃にダンナと付き合っていた。ダンナが卒業したらフランスに留学するから結婚して一緒に行こうと言われた。渡りに船とばかりに乗った。それだけ。

 

私はラッキーだなと最近思うようになった。こんな私でも(別居していても)養ってくれる人がいて、子どももいる。ニートみたいな生活をしていても、誰にも批判されない(たぶん)。

 

今日は母の日。私の母はずっと仕事をしていた。バリキャリの血を継がなかったなぁとふと考える。21くらいで鬱にならなかったら、私は今頃、世界を飛び回って仕事をしていたんだろうか。そうしたら結婚もしていなかっただろう。それはそれで楽しそうだ。

 

でも母の日に子どもとケンカして仲直りし、ケーキとお花をもらう人生も悪くない。