高瀬隼子「犬のかたちをしているもの」を読んだ。読み始めたら止まらなくて一気に読んだ。分かりみが深すぎた。

 

彼氏がお金を払って寝ていた女が妊娠して、自分は子ども要らないから貰って欲しいと言われる主人公。主人公と彼氏はセックスレス。主人公は卵巣の病気をしていて妊娠できるかは分からない。愛情ってなんだろうって考えさせられた。

 

私もセックスは苦手。主人公が感じている違和感がとてもよく理解できる。ダンナとも子どもを持つところまではなんとなく我慢して出来たんだけど、下の子を産んでから皆無。子どもを持って一層、自分の身体が欲望の対象になったり、女として扱われることが嫌になってしまった。母親としての自分と、肉欲の対象としての自分は相容れないものになった。

 

私がセックスが苦手なのには、もちろんちゃんと理由がある。14歳の時に性犯罪にあったから。性行為ぬきにした愛情というのは存在し得るのかというのがその時からのテーマだ。そしてそれが難しいことも痛感してきたし、30歳になるまではなんとか欲望に応じてやってこれたのだ。

 

付き合った男たちにはちゃんと理解してほしくて自分の身に起きたことを話して来たが、みんな同情したり理解しようとしてくれたりしたけれど、耐えられる男はいなかった。ダンナでさえ。それくらい性欲というのは男にとって重要なものなんだと思う。介護施設に行ったって性欲だけは残っているらしい。

 

私はセックスに応じられない引け目を感じているので、お金を払って処理してくるのは構わないと思っている。ダンナは比較的理解してくれた方だったし、自分に性欲があることを呪ったりしていて気の毒なくらいだったけれど、やっぱり結婚から12年で浮気をした。レスになって9年だろうか。そんなもんなんだなと思う。

 

私の身に起こったことへの同情、自分の欲望との闘い、いつまでも頑なな私に対する怒り、失望、魅力的な女の登場。私はダンナに対して愛情がなくなったわけではない。理解しようとしてくれたこと、別居しても生活費をくれていることに感謝もしている。でも一緒に生活をしていると、いつ自分に欲望が向けられるのかと身構えていることも確か。恐怖ではないんだけれど。

 

小説の最後はあまりスッキリしたものではなかった。あー、ここで終わっちゃうのかって思ったけれど、自分のことを考えてもこの関係性に終わりはないなと思い直した。セックスレスなことへの罪悪感と応じなくてはという義務感はきっとどこまでも続いて行く。結婚しても子どもを持っても別れても。罪悪感を墓まで持っていくのだろう。