これからお見せする写真集は、恐らく、どの資料館にもない「激レア中の一品」です。
お話によると、今は亡き、在日コリアンの友人の母方の祖父さまが、大学の学園祭(当時)で、ひとつの資料展示の一環で、あらゆるルートから仕入れてこられた数々で、今は友人の手許にありますが、のち母方の祖母さまに、ご返却する予定です。
少しでも多くの方々に、先の歴史を「目で確認」して、戦後の在日コリアンの方々の記録、そして近隣諸国と日本の『未来』を創造する(文化的共同体としての団結)上での、大きな思考的素材として、ぜひ考えるキッカケとしていただければ、幸いでございます。
※画面左下の『内務省公表記事』写真(当時)は、先の『義烈団』金祉変の行動に対するもの
‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その9(朴烈事件以後の『義烈団』金祉変の弁護について)‐
※続けて、同じ写真の裏返しで右上のものは、友人も通った十条(北区)の『東京朝鮮中高級学校』が「建設される前」の写真で、いつの日か、シン校長がおっしゃられていたように、『日本軍の弾薬庫』として、(母方の祖父さまのメモにあるように)迫撃砲がたくさん並んでいる
※ご周知のように、画面左上にある写真の人物は、現・麻生太郎副総理の「母方の祖父」にあたる故・吉田茂元首相。つづく写真裏側には、その詳細メモが記されている
※画面右上の写真は、朝鮮総連の「前身」である『朝連』の会館建物(当時)
※画面右下の写真は、当時(1953年5月19日)朝鮮高校1年生の教室より
本当に、いろいろと感慨深すぎて、グッときてしまいました。
ただ正直な気持ちを述べるなら、写真から伝わる「人々の生きざま」の断片というか、そこからあふれる『歴史の息吹』に、ただただ畏敬の念を抱くばかりです。
私自身も、数々のご協力のもと、歴史に関わるブログを書かせていただいて、今まで以上に気を引き締めて、ブログ活動に邁進する勇気をいただきました。
改めて、在日コリアンの友人には、多大なる感謝の気持ちを表明し、さらなる続編を順次発表していく次第です。
<参考資料>
・在日コリアンの友人による写真提供
<ツイッター>
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