前回の記事

 

‐東アジアの今とこれから その4(国が滅ぶということ)‐

 

 

日露戦争における「日本の勝利」によって、朝鮮支配を確実なものとした中、日本の社会主義者たちはこれを激しく非難しました。

 

西川光次郎『光』(一九〇五、一二、五)「朝鮮を憐れむ」という文を書き「其の皇帝を其の人民を憐れむ、吾人は彼等今日の心事を思ふて涙なき能はず」と朝鮮人民への深い同情を示し、さらに「日本の新聞記者は韓国の愛国者を鼠輩なりと云ふ」と非難し、日本のこの「鼠」をねらう「猫」として描いていました。

 

『新紀元』同年12月10日号『日韓約款成る』という記事をのせ「遂に朝鮮をして日本の被保護国たらしめたり、嗚呼、吾人、言ふこと能はず、書くこと能はず、唯だ悪む、之に報ずるに堂々二号活字を似てして憚らざるの新聞記者を、之を読んで傲慢なる歓喜を貪らんとする日本国民を・・・・・・」と報じたのをはじめ、1906年1月10日号には『朝鮮の復活期』という記事と『世界平和の進化』という論文、さらに同紙2月10日号には『あゝ韓国』(小野有香作)という詩をのせて「保護条約」の本質を糾弾しました。

 

先ほどの『世界平和の進化』の論文では、帝国主義侵略の歴史と本質について述べながら、「近く朝鮮の事態を就て観よ、朝鮮の独立を誓約せる両度の戦役(日清・日露)は遂に日韓協約に依て其白粉を洗ひ落としたり」と非難しました。

 

同論文はさらに日本の武力による条約強要に対して「曰く高圧手段!曰く大砲と銃剣と前鋒となせる外交!かくして半島の独立は掠奪せられたるなり」として、『朝鮮の復活期』という記事には、このとき「韓国民は自国の滅亡を決して袖手傍観したるに非るなり」と、朝鮮人民が「新協約破棄」を唱えてたたかったことを強調し、これへの連帯を表明しました。

 

 

朝鮮を保護国にしたと日本は、1906年「南満」の鉄道を独占し、「関東州」をつくりあげ「満州」への侵略を進めていきましたが、1907年1月田添鉄二『満韓殖民政策と平民階級』という論文にて、その本質をつぎのように述べ、満州・朝鮮侵略反対の声を続けました。

 

関東州(Wikiより)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%B7%9E

 

「日本の人口は、三千九百六十余万人で、昨今は年々六十万内外の比率で増殖して居る」が農村の窮迫と惨状、都市の失業者の増大、飢餓によって「帝国臣民の生存の権利は、一歩一歩に断崖絶壁に近くのみである」ところから、その余剰人口の排泄場を開拓するため「帝国の殖民政策提唱させられ、何時しか日本帝国政府外交の一大項目となって現はれた」とし、「殖民政策は強大な武力の後援を要する」ところから、軍備拡張と戦争の見事な口実をあたえるといい、植民政策の実態を分析して次のように結論づけました。

 

一般的な十六条の旭日旗の意匠(同)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AD%E6%97%A5%E6%97%97

 

「詮ずる所殖民政策とは、其実権力階級政策である。資本家政策である。帝国旗は、権力階級に向かっては始めであり終わりである、領土の拡張は、資本家階級に向かっては実に深遠美妙な意義を有して居る。而も平民階級に向っては、其は徹頭徹尾無益であり、無意義である」

 

「吾人は曩(先)に、満韓殖民政策を以て、事実権力階級政策であり、資本家政策であることを一言して置いたが、吾人は今茲(こんじ=今年)に其が国民統治の去勢術であることを明らかにして置かねばならぬ」

 

「(階級闘争を)萌芽の内に其根を断てとは、古来より権力階級が、被治者の覚醒に備ふる慣用手段であった」と。

 

たしかに、後のノモンハン戦争や、沖縄の少年ゲリラ兵の護郷隊の話しかり、現場や末端に対して、人間とは思えないゴミのような仕打ちを味合わせ、そのすべての責任を押し付けた上で、上層部をはじめとする「権力階級」の人たちは、安全なところから、ひたすら無茶苦茶な指示を出し、いざ敗戦となると、自分たちの保身に走るという構図から見ても、まさにブラック企業ならぬブラック国家であり、一般国民にとって、仮に「自国の領土が広がった」としても、それは本来的に何の旨みのない話です。

 

 

『韓国の開発又其幸福を助くる』というあいさつで、その初代統監に就任した伊藤博文によって、「朝鮮併合」へのプログラムは着々と推し進められますが、これは朝鮮民衆の反日感情をいっそう高め、1907年7月には韓国皇帝がオランダのハーグで開かれた万国平和会議に密使を送って、列国が日本の朝鮮保護権を否認するように訴えた『ハーグ密使事件』が起きました。

 

韓国名『ハーグ特使事件』(左から李儁<イ・ジュン>、李相卨<イ・サンソル>、李瑋鍾<イ・ウィジョン>)

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それに怒った伊藤は、皇帝を脅迫して、強制的に退位させてしまいました。これを知って憤激した民衆は、反日闘争に決起し、軍隊の一部も人民の闘争に合流しました。

 

このように朝鮮民衆の激しい闘争が全国的に巻き起こっている中、伊藤博文は7月24日『第三次日韓協約』=『丁未七条約』を締結しました。そして8月1日には朝鮮軍隊を強制的に解散させ、これに抗して反日義兵闘争がいよいよ激しく燃え上がっていきます。

 

日本の支配階級は、この朝鮮人民の愛国反日の闘争に軍隊をもって襲いかかり、「討伐」を強化していきましたが、当時の一般新聞『官兵の暴動』『京城の騒擾』朝鮮民衆の闘争を「不法事件」として報道し、7月21日の『東京日日新聞』「宮中に在て譲位の事、決するに方り、城下の暴民群を為して沸騰し、之が慰撫警戒に従へる日本警官に対して抵抗を試み暴行を敢えてし、韓兵又暴民に与して不意に銃火を我警官に集中し、遂に死傷者を出すに至る。官兵又人民の時局に通せず事体を解せざるも亦太甚しと謂ふべし」「彼が如き人民に与する軍隊は愚民なり、乱民なり、韓国政府宣く速に之が解隊を断ずべきなり」と主張しました。まあとにかく容赦なくこき下ろしたわけです。

 

そして7月26日付けには『日韓新協約の成立』、8月2日には『韓国軍隊の解散』といった記事を一面に載せ、日本の朝鮮侵略を支持し扇動し続けました。

 

本当に、いつの時代もマスコミは信用ならんものです。

 

 

<参考資料>

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第三巻 勁草書房

 

일본이 조선을 병합한 과정(日本が朝鮮を併合した過程) 『ハーグ特使事件』より

 

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