前回のシリーズ
‐新シリーズ・朝鮮統一と日本を考える 最終章(日本自主化のプロセスと東アジアの平和樹立)‐
こちらの方で、1960年の日米安保条約改定(新安保条約)における、岸首相の「北朝鮮自衛隊出動圏」の国会答弁で浮上した、いわゆる『第三次防衛計画』について、後ほど記事化する予定を示しましたが、今回はそのシリーズの第一回目となります。
別名『図上作戦計画』と呼ばれた、この計画は、1965年2月10日に至り衆議院予算委員会において、社会党岡田春夫議員により暴露され、当時の佐藤内閣は窮地に陥りました。
さらに詳細を紐解くと、この作戦は、俗に『三矢研究』とされ、図式で言えば「第三次防衛計画=図上作戦計画=三矢研究」という具合に、その全貌に迫っていこうと思います。
当時の朝日新聞(1965年2月11日)において、
「防衛庁の説明によると、“三矢研究”は三十八年(昭和)、統合幕僚会議で了承を得たうえ、統幕事務局長が統裁して研究したものだという。この研究には、統合幕僚会議の五室(防衛計画、情報訓練計画、補給計画、研究開発をそれぞれ担当する五室)および、陸、海、空の三自衛隊を合わせた八グループが参加し、それぞれ与えられたテーマを研究した上で報告書を提出、その結果は各冊二百ページにのぼるものが四、五冊という膨大なもので、岡田氏が十日、衆院予算委で指摘したのはその『ごく一部』といわれる」
としています。
この作戦においては、明らかに戦争計画の一環として日韓会談妥結の必要性が強調されています。そこで提示されている作戦課題の概要は、次のとおりです。
『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房(二六八~二六九頁より)
「極秘」とされたこれらの資料は、主に『三矢研究状況下の第四回合同研究実施要領』とされ、その『大三動 研究問題』においては、以下のように記されています。
一、七月二〇日までの状況に対し、逐次とった統幕、各幕としての措置ならびに防衛庁及び政府レベルにおいてとらるべき措置について、主要事項を列挙し、その骨子を述べよ。(状況下の研究No.10)
二、七月二一日実施された日米安保協議委員会について下記を研究せよ。(状況下の研究No.11)
(一)情勢判断
(二)日本に対する事態の波及と日本防衛の準備
(注)双方の立場に立って研究し、両者をつき合わせた上合意に達すると認めたものは、協議決定事項とし、合意に達すること不可能と思料したものは協議成立に至らずとして記載すること。この場合、米太平洋軍の方針などについては研究班の提案に対し必要に応じ統裁部の所要の判定を与える。
三、七月二一日臨時閣議において決定されたわが国防衛の基本方針ならびに所要の国家施策についてその骨子を述べよ。(状況下の研究No.12)
四、七月二一日下令された防衛出動待機命令に、内局、統幕、各幕の作成する行動の基本、指揮命令をそれぞれの形式によって記述せよ。(状況下の研究No.13)
五、七月二一日下令された治安出動に関連し、内局、統幕、各幕の示すべき事項を行動の基本、指揮命令の基本、指揮命令に区分し、それぞれの形式によって記述せよ。(状況下の研究No.14)
六、七月二一日下令された本格的作戦準備について次を提出せよ。(状況下の研究No.15)
(一)作戦準備の内容とその完成推移の見積
(二)六月一一日着手した作戦準備との連接具合
七、七月二二日実施した統幕と在日米軍司令部間の具体的調整事項を述べよ。(状況下の研究No.16)
八、七月三一日現在における各自衛隊及び在日米軍の現状について下記を報告せよ。(状況下の研究No.17)
(一)主要兵力の展開状況
(二)主要兵力の作戦状況(哨戒、警戒、偵察、海上警備等)
(三)作戦準備の進歩状況(注)→略
以下のように、非常に堅苦しい内容ですが、当時や今の日本の「防衛状況」の本筋を考える上で、非常に貴重な資料ですので、今回のシリーズ記事は、その「アーカイブス」化の意味も含め、逐一、拙ブログで取り上げていこうと思います。
<参考資料>
・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房
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