拙ブログ記事『‐この書き込みを見て思ったこと‐』

 

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12366738854.html

 

こちらの方で、ネトウヨに代表される「ネット人格」によって、傍若無人に振舞う人々に関する記事を書きましたが、私たちが日々ネットを利用して、そのような問題と直面し続けてわかったことは、だんだんと「経験」を重ねて、物事の真理に少しづつ気付き始めてきたことです。

 

先の記事のコメント欄でMichikoさんがお話して下さりましたが、インターネット普及が最も早かった英語圏では、そうした問題がいち早くに取り沙汰され、人々が早期の段階で、リアルの延長線上にある目的でのウェブ利用に移り変わっていった事実を学びました。

 

つまり、それは全体的な意味における「匿名性」の衰退を意味します。

 

もちろん、その中での荒らしについても、排外主義含め、一部のバカがイキってる程度の認識に移り変わりつつあり、そうしたものを「大事として捉えたり」「いちいち相手にする」ことについての無意味さも、人々は早い段階で熟知していました。

 

 

ここで『匿名性の害悪』について、引用記事を元に述べていくと、

 

「ネットは匿名でいろいろな意見を述べれるので、面と向かっては何も言えないチキンな野郎も、実名では何も主張できない人も、匿名ということで気が大きくなるのか、人を傷つけることなどおかまいなしに、言いたい放題の無責任である」

 

「挙句の果てには、弱者に対して、『馬鹿!、キモい、ウザい、死ね!』などと書きこんだりします」

 

 

『社会を悪くし、人間が異常なほどに過敏になったネットの匿名性の功罪』より

 

http://89314.hateblo.jp/entry/2017/01/06/212323

 

 

まあこんな感じなのですが、別段「匿名性がすべて悪」と断罪するわけでもなく、これはあくまでも負の側面であり、個々人がリアルと同じ感覚で誠実に振舞えば、それで物事は解決します。また全体的な流れとして、日本のウェブ環境を眺めた上で、「英語圏におけるモデル」に、徐々に移り替わっていく状況にあると思います。

 

こうした「ウェブモデル」から類推すれば、無意味な誹謗中傷ヘイトスピーチに対する、一般人のオワコン観などなど、ネット上にあるコミュツールなどの変遷は目まぐるしく、たとえば私が高校生の頃は、ガラケーを中心に、グリーやモバゲーなどが流行りましたが、昨今はFacebookやTwitter、Lineやインスタグラム、カカオトークなど、最新では『あんにょん!』や『MEEFF』などのスマホ交流サイト、名前は忘れてしまいましたが、リア充中心に展開される、NCSやOMFG、EDMの曲に合わせて、短いパフォーマンスをする動画交流サイトも隆盛を極めています。

 

何が言いたいのかと言うと、今ある「ネット上の環境」が、この先も続いていくことは絶対にないということです。

 

現在日本語ウェブの「匿名の荒らし」「ネトウヨの横暴」など、いずれは人々から見向きもされなくなり、着実に廃れていくこと。あるのは政府系の「工作員コメント」だけが主流になり、また匿名性自体は廃止されなくとも(それが必要とされる理由もある)、実際に交流の中心は、Facebookなどの実名制を重要視する場に移っていて個々人が「リアルの延長」で、日々の出来事や、社会的議論を交わしたり、まさに英語圏の「モデル」が日本にも浸透している証であり、昨今の2chやニコニコ動画の「高齢化」の問題にしろ、荒らしやネトウヨも、この流れに抗うことはできないでしょう。

 

大事なことは、こうした情報を敏感に察知して、いかにして「自分自身のアップデート」につなげていくかがであり、最悪な状況は、ネトウヨばかりを相手にして、周りが見えなくなり、ネット社会の発展から半ば取り残される形で、同じレベルになって罵詈雑言を投げつけ合い、一般の人から遠ざけられる存在になることです。

 

 

【追記】

 

<海外のサイトのブロック実例>

https://stat.ameba.jp/user_images/20180409/20/cluttered-talk/1f/d5/p/o0611045014167394313.png

 

これは英語ブロガーのMichikoさんがご利用されている海外政治フォーラムサイト『Disqus』の例ですが、前の記事でコメントしていらっしゃったように、Disqus社には、個々のユーザーにブロックをさせたくない理由として、「理念上の理由」と、「収益上の理由」との二つがあって、つまるところの「表現の自由」「閲覧数至上主義」という、前時代のネット世界の『国是』として君臨してきた主潮ですが、もはや現在でこのような思想で運用するネット企業が「異端」となってきました。

 

それは昨今の海外発祥の大手SNSサイト含め、こうした「匿名性」を重要視する政治議論サイトでさえも例外ではなく、相手をブロックやミュートをして、トラブルを避けたり、果ては通報で「荒らしアカウント」を停止する措置まで取るようになり、根本的な意味で、世界における「荒らし対策」がいかなるものなのか、再びMichikoさんのお言葉を借りるなら、リアルのように、礼儀正しい相手とだけ接触したいと、思ったら、カギをかける、限定公開にする、囲い込む、ということです。

 

「囲い込み」をせずに、逆に、ネット上から、自分に嫌がらせをする可能性のある相手を一掃したいと思っても、それは普通出来ないことであり、「できないということを認める」というところから、これらのネットサービスのシステム改善(アップデート)は進んできた事実を俯瞰すると、できないのは、誰が悪いんだとか、誰のせいだとか、自分だけが被害者なんだとか、そういう問題ではなく、みんなそうなんだということです。

 

このような「インターネットが歩んできた道」を再確認し、その歴史を見据えていく上で、私たちがやらねばならないこと、また間違ったことは何かということを認識し、そうした「道に外れないための方策」であり、その本質は、極めてパブリックなものと言えるでしょう。

 

 

<参考資料>

 

・拙ブログ「‐この書き込みを見て思ったこと‐」記事

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12366738854.html

 

・やくじまん氏のブログ『社会を悪くし、人間が異常なほどに過敏になったネットの匿名性の功罪』記事

 

http://89314.hateblo.jp/entry/2017/01/06/212323

 

・Hiphopie「代替されていくSNSと廃れていくTwitter。」記事

 

http://hiphopie.asia/2017/04/30/%E3%80%8C%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8Fsns%E3%81%A8%E5%BB%83%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8Ftwitter%E3%80%82%E3%80%8D/