※前回の記事『‐辛淑玉文書を読む その4‐』(https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12334124908.html)
辛淑玉『Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ』(5/7) pic.twitter.com/hKD3jGqsfx
— ニライカナイφ★ (@niraikanai07) 2016年5月18日
https://twitter.com/niraikanai07/status/733035670474620928/photo/1
https://togetter.com/li/976995
辛淑玉氏の文章は5ページ目になります。
李信恵氏らが引き起こした暴行事件について、その是非を問う事もなく、世間を過大に「敵視」した上で、朝鮮学校の生徒たちを含め日本中から「袋叩きにされる」という認識のもと、それらを守れるのは「関西しばき隊」しかいないとしています。
この自画自賛の文章には呆れます。
だれもあなた達がいなくてもやっていけるし、今までもそうだった。
今まで在日社会が、一時は繁栄を究め、そこに暮らす人々が高らかに生きていけたのは、活動家よりも、在日経済人であるサンゴンインの方々の寄付や、各界で活躍する人々、良識的な総連関係者(イルクン)の存在のおかげなのです。
ここ最近、「界隈の活動」が目立っているだけで、まるで在日社会の「すべてを担っている」という価値観には、正直理解できません。
この悲壮に満ちた文章は、やはり辛淑玉氏自身の人生から来るものであり、他の在日コリアンが共有できるものではないことを、私たち日本人は理解しなくてはなりません。
そうした認識のもと、「ひっそりと生きる在日が殺される引き金を、あなたたち(李信恵さんら)は引いたと」、もちろん過大な悲壮ぶりは理解できないけれど、大衆から一切の信用を受けなくなるという意味では、辛淑玉氏の「加害者」三人へのご批判は、極めて正しいものと言えるでしょう。
そして、このことを身を挺してまで敢行されていらっしゃるMさんへの配慮も、素晴らしいものです。
反面、辛淑玉氏がLK氏を庇うとき、彼の決意を持ち出して「俺は絶対にお前たち(在日の子どもたち)を裏切らない」として、それぞれの生活がある在日コリアンの事情をくみせず、その多くが「逃げ続ける」と一方的に断罪した上で、界隈の人々に対する「淡い期待」を持ち、李信恵氏に対しても「私の妹分」「信恵がいとおしい」として、しかし、結果彼女らは現在に至るまでMさんへの目だった謝罪を行わず、見苦しくも問題は尾を引いています。
現に、この文章を読んだ李信恵さんのツイートを見れば、言わずもがなです。
糞みたいな人たちが最終的に出してくるのは「辛淑玉がリンチを認めた!」みたいな文書なんだろうけど。淑玉オンニは、誰もが傷つかないようにと思って、何も知らぬまま、騙されて書いただけの話。後で読んで、もー!先走ってオンニこんなん書いて、後で利用されるでって心配した。
— 李信恵 이(리)신혜 (@rinda0818) 2016年5月11日
https://twitter.com/rinda0818/status/730411260546686981?lang=ja
そして、この認識を読み取ったヨニウムさん(作家)のツイートも、合わせて載せておきます。
辛淑玉の文章。後半は共感できない。その後の隠蔽工作に繋がる予兆を感じる。一言でいえば、李信恵を溺愛しすぎている。溺愛しすぎて盲目になっている。リンチで半殺しにされ、血だらけで、息も絶え絶えの被害者を傍らに放置したまま、介抱もせず、手当もせず、いわば酒の肴にして宴会を続けた人物だ。
— 世に倦む日日 (@yoniumuhibi) 2016年5月18日
https://twitter.com/yoniumuhibi/status/733073108257497089
こうしたドライな事実を見て、一体だれが「在日社会」を裏切ったのか。その信用に多大な害を及ぼし、立派に社会で生きる人々に迷惑をかけ、逆に生きづらくさせてしまう皮肉な現実。
歴史の悲壮な物語から権威づける形で、自分たちを在日社会を救う「正義の使者」であると称し、その過大な立場に居座ることにより、一人の人間をリンチしたり、その隠蔽活動に終始する姿は、もはや健全なリベラルとは言えないでしょう。