読み切り漫画その1


これは友人宅で撮った、二年前に彼の生まれて初めて描いた「読み切り漫画」です。


しかし画像は表紙だけ。


彼が「絶対に中身は見るな」と言い張るので、具体的な内容は文字だけの説明になりますが、二人の在日コリアンの姉弟が、故障した家のトイレをなおしていく過程の中で「日本国内の差別問題」を描いた内容なのです。


そしてこれを、集英社の少年ジャンプ講談社の少年マガジンに持って行ったそうです。



結果は案の定「ダメ出し」の連発


無論、そんなことはわかりきっていましたが、彼自身編集者に教えられたことは以下の通りです(ほかの漫画家志望の皆さんも、ぜひ参考にして下さい)



‐まず少年ジャンプ編集Y氏の場合‐


・キャラの描写がまったくない


・ただ設定を羅列しただけ


・掛け合いがまったく面白くない


・デッサンが狂ってる


・シリアスネタをやるなら、ページ数をもっと増やして(31P~45P)人物描写を、濃密にする


・読者が最も嫌うのは、道徳的な説教であり、漫画はくまでも娯楽であることを忘れてはならない



‐つづいて少年マガジン編集K氏の場合‐


・表紙の描き込みは良い(画像のヤツ)


・コマの中でキャラ達が「何をしているか」がわかる


・ネタがシリアスすぎる。漫画はあくまでも「娯楽」


・歴史漫画としてはありだが、もっとページ数を増やして全体的な「流れ」として提示すべき


・「差別ネタ」は基本的に掲載できない。しかし、もしやるなら朝鮮学校を知らない日本人の学生が、その環境で色々なことを学んで「成長すること」を描写すべき


・登場する姉弟の学校でのやり取りが見たい。表紙に出てる2人の女の子(画像の奥の方)たちも出してほしい。そして眼鏡の男子学生(当該「読み切り」でちょこっと登場)の出番も増やすべし


・いずれにせよ絵が下手。第一線の作家陣に追いつくためには、一週間に「20ページ」の原稿を仕上げて、それを累積3000ページ以上しなければ到底無理である


・賞応募のページ数は50ページ



まさにごもっともと言うしかないでしょう。


さすが「天下のジャンプ」の場合は、情け容赦のないツッコミの数々であり、読んでる私自身も心苦しくなりましたが、正しいことなので、基本的に「漫画というもの」は、文字通り「娯楽」であり、学問のような堅苦しいものではないのが基本です


たしかに、私も当該「読み切り作品」を読んでいて、彼自身初めて描いた「実験作」というものもありますが、やはり漫画は楽しいモノではなくてはいけないと思いますし、前述のものは、特にジャンプやマガジンと言った少年誌という枠では成立しないでしょう。



つづいて、「古豪のマガジン」の場合ですが、持ち込んだ時に「ジャンプのダメ出し」の記述を見た編集者が、気を使ってくれてアドバイスして下さりましたが、いずれのツッコミ点は同じです。


そこで言われたことは、もし仮に「友人」が超大御所の、手塚治虫並みの大作家ならば、ある種の「晩期における作品集」として載せることができるとしましたが、それでも漫画の基本は「娯楽」であるという事実は変わりません。基本的に読者を「疲れさせては」ならないのです


そして「差別ネタ」は基本的に掲載できないということ。


これについても、昨今の日本社会を見渡せばわかると思いますが、そういうものを描けば、方々から変な人たちから総攻撃を受けるので、出版社としても、出来るなら避けたいという思惑が働き、第一日本人はそういうものをこぞって買ったりはしないでしょう(反対に嫌韓ヘイト本は買いまくるが・・・)。


しかし、講談社編集のK氏はつづいて「絶対にできない」というわけではないとお話され、過去に歴史漫画枠でそのような差別に関する問題を描いた漫画があり、自身はその漫画が好きな作品であること述べられ、もっと登場人物たちを「ガンガン動かして」、話を進め、濃密な人間関係を生むべきだと非常にポジティブなアドバイスをされました。



そして、何より両出版社の編集が指摘した「共通の問題」として、「絵が下手」であるという事実があります。


これについては、今の日本の漫画業界がいかに凄まじい世界であるかを物語っているに等しく、生半可な画力では「アシスタントすらなれない」という現実があり、講談社編集のK氏がおっしゃられた「一週間に20ページ。累積3000ページ以上仕上げる」という、鬼畜すぎるノルマはその証左と言えるでしょう。


ちなみに原稿を1ページ仕上げるせよ、カットによっては十数時間を要するものもあり、「作画スピード」が極端に遅い友人にとっては、是非とも克服しなければならない課題と言えるでしょう。



以下のように、アニメや漫画・イラストにせよ、それぞれのハードルは微妙に違うにせよ、今日における「クリエイター大氾濫時代」において、その第一線に食い込むことが、たいへんな荊の道であることを如実に現してくれた例と言えるでしょう。


是非とも友人には頑張ってもらいたいです。



がんばれ!