今日のリテラ記事『天皇が「お気持ち」で危惧した“崩御による自粛”の実態とは? 昭和の終わりに起きた恐ろしい状況が平成で再びhttp://lite-ra.com/2016/08/post-2487.html にて、現天皇の明仁氏がビデオメッセージを残されましたが、その中でも特に特筆すべきものとして昭和天皇死後における「自粛ムード」、まあ所謂国家的な「喪に服す」行為ですが、その具体的な事例として1988年の昭和天皇の容態悪化から翌年の逝去、つまり「天皇崩御」まで日本全土を覆い尽くした、あの気味の悪い“自粛ムード”です。


 88年9月19日、昭和天皇が吐血。新聞各社はトップで「ご容態急変」と一斉に報じ、以降、まさに社をあげた「天皇報道」一色となっていくのだが、この時点ですでに、メディアによる“自粛ムード”は徐々に芽生え始め、たとえば、新聞報道の翌日に後追いしたスポーツ紙の一面は、普段のカラー印刷ではなくモノクロ。また、週刊誌では9月27日に発売予定だった「女性自身」(光文社)が、グラビアページの昭和天皇(博仁)の写真を左右逆に掲載していることが判明し、回収のうえ発売中止になるという騒動も起きました。


そんななか、一般国民を巻き込んだ自粛を強く牽引したのは、やはりテレビでした。


「吐血報道」の数日後には娯楽番組などの中止や変更が多発。軒並み報道番組やドキュメンタリー番組に差し替えられた。それは『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)『スーパーJOCKEY』( 日本テレビ)などの バラエティ番組だけでなく、『全日本プロレス中継』(同)などスポーツ中継、はては『ひらけ!ポンキッキ』『おそ松くん』(ともにフジテレビ)『仮面ライダーBLACK』(TBS系)などの子ども向け番組にまで及んだ。


他にも『笑っていいとも!』(フジテレビ)ではタモリによるオープニングの歌やダンスがとりやめになるなど、中止にならなくとも通常の状態ではない放送が長期間続きました。


さらにCMの改変も続発した。日産の自動車CMで井上陽水が「みなさーん、お元気ですか?」という音声がカットされたのは有名だが、工藤静香出演のロッテのチョコレートCMでの台詞「その日が来ました」なども差し替えられた。なかには新商品の「誕生」を「新発売」に言い換えるなど、明らかに過剰な対応もありました。



こうしたテレビの自主規制によって作り上げられた“自粛ムード”は、伝染病のように爆発的に全国に拡散していきます。9月末ごろからは日本各地でお祭りやパレード、コンサートなどの各種イベントが相次いで中止となりました。当時の報道などからいくつか具体例を挙げてみると、


・神奈川県横浜市では、秋分の日に予定されていた横浜駅西口の名物行事「ヨコハマカーニバル」が中止。


・千葉県東京ディズニーランドでパレードの後の花火打ち上げが中止。また、ミッキーマウス生誕六十周年を祝うイベント「ミッキー・カー・オブ・ザ・イアー」が延期。ディズニーランド駐車場に一般参加者の車で巨大ミッキーマウスの絵を描く予定でした。


・千葉県印西町で開催予定だった「第一回コスモスサミット」が無期延期。

・長野県で行われる予定だった全国俳句大会(参加者約200人)が中止。


・福島県の会津秋まつりで、約7000人の小中学生が市内を練り歩く「提灯行列」と、3日間続けられる予定だった盆踊り大会が中止。



・静岡県静岡市登呂遺跡で行われる予定だった「第27回登呂祭り」が中止。例年、市民約10万人が参加していた。


・三重県伊勢市の「伊勢おおまつり」と「伊勢神宮奉納花火大会」が中止。


・佐賀県の県民体育大会開会式で、太鼓演奏やファンファーレなどが取りやめ。


・長崎県長崎市の諏訪神社で行われる予定だった秋の大祭「長崎くんち」の奉納踊りが中止。


・プロ野球では、セ・パ両優勝チームのパレードが中止。なおパ・リーグは西武ライオンズが1位に輝いたが、恒例の西武デパート「優勝感謝セール」は行われなかった。



これはあくまでほんの一部ですが、比較的規模の大きなものだけでなく、小規模な催しも次々と中止や延期、内容が変更になりました。なかにはこんなものまで?と首を傾げるようなものも見受けられます。


・公開を控えていたオムニバス映画『バカヤロー!私、怒ってます』の宣伝として東京都港区で予定されていた「バカヤロー!言いたい放題コンテスト&試写会」が延期。配給の松竹宣伝部は「タイトルがタイトル。天皇の状態からみてまずいだろうと、思ったので」とコメント。


・特殊法人「住宅・都市整備公団」が予定していた新宿駅前の「ススキと月見だんごの街頭プレゼント」が中止。「新宿でひと足早いお月見気分を」と、ススキと月見だんご計1000セットを無料プレゼントするはずだったといいます。


・キッコーマンと子会社のマンズワインが開催を予定していた「マンズワイン祭り」「マンジョウまつり」が中止。ともに、ワインやみりんの工場で無料試飲、各種ショーを訪問客に披露する予定だった。なお、通常の工場見学は普段通り受け付けたという。


しかも、自粛の嵐は一般市民の生活にまで及び、学校の運動会や遠足、個人的な結婚式、クリスマスや正月行事なども中止になる異様な光景が広がった。年末にかけてパーティ類の中止が相次ぎ、ホテルの宴会場は閑古鳥が鳴き、他にも正月のしめ飾りは販売数が激減、食品売り場からは赤飯や紅白まんじゅうまで消えました。


そして、この未曾有の“一億総自粛”は、89年1月7日、昭和天皇の逝去でピークを迎えます。


テレビ局ではアナウンサーやキャスターが黒服や喪服を着用し、画面から一切のCMがアウト。新聞からも広告がバッサリとなくなり、電車の中吊りも外されました。「週刊文春」(文芸春秋)など週刊誌も、広告面スペースを天皇関係の写真で埋めたり、白紙で構成したりするほどだった。銀座のデパートには天皇の遺影が大きく配置され、街頭のネオンや看板は白幕で隠された。



ここまでくるともう異常ですね。日本人はやたらと北朝鮮の指導者の崇拝性を異常視しますが、かたや第二次世界大戦でアジア地域で2000万人の死者を出し、世界に迷惑をかけた総大将の大戦犯をこのように祭り上げて、一体何がしたいのでしょうか。。。


そしてこの「喪に服す」騒動で死者まで出しております。


当時の新聞によれば、10月には神奈川県の露天商を営む夫婦が、自宅六畳の部屋で、天井のはりにナイロンロープをかけて首を吊って自殺。多額の借金の返済に悩んでの心中でした。夫婦は9月の「秦野たばこ祭」と10月の「伊勢原観光道灌まつり」に出店を計画していたが、いずれも主催者側が天皇の容態に配慮して中止に。「たばこ祭」のために、すでに約60万円の材料の仕入れを済ませていたという。また、同じく神奈川県で、体育祭を実行するか中止にするかで板挟みになり、実行委員長が自殺するという事件も発生しています。



無論、戦後の民主主義を標榜する社会においても堂々と崇拝を強要する「天皇ファシズム」なるものが、近代に確立した薩長的日本像であり、それは西洋風の特にドイツ帝国型の軍事体制や、国学に基づく歴史観、および神道に基づく天皇教や靖国教の創設、それはひとえに「ドイツ風の軍服と狩衣鳥帽子の神主が同居する奇妙な近代日本の系譜そのもの」であり、その核たる本質である天皇の扱いについて、上述がすべてを物語っております。


そして、この薩長的近代天皇ファシズム制度を原因となった、中華主義への憧れ、それは古代から夢だったアジア地域における「天皇の皇帝化」をもくろむ国学の妄想を叶えるために作られた思想・制度体系であり、かつて近代西洋哲学の大家であるヘーゲルがこき下ろした中国の皇帝思想の悪徳を一心に背負う形で、それらを丸ごと受け入れました。


その代表として挙げられるのが、先述の君主が死亡して国家全体が「喪に服する」行為であり、この本丸たるオリジナルとして中華の儒教的家父長体制で、民衆はそれぞれが「国家の息子と娘」であり、個々人に判断や人格というものがなく、国家の父たる皇帝が死ねば民衆は直ちに3年の喪に服し、肉や酒を断ち、結婚も許されず(日本では各種の「自粛行為」が相当)、無条件で強要されます。



結論として、中国では「皇帝がもとの絶対平等の国」であり、それは日本の天皇も言わずもがな、近代の国家体制を鑑みれば一目瞭然です。そして政治思想自体、専制政治というしかなく、西洋における人間は、多くの利害や特殊な活動の領域が補償され、そこで自由にふるまうことがゆるされますが、「皇室」を自称(僭称)し、この中国の皇帝制度を模倣する国(日本)においては、核心的部分において特殊な利害はその自由な追求が許されないし、建前上も政府はまったくの君主の傘下にあって、天皇が国の中心にいて、すべては天皇のまわりをめぐり、天皇へとかえってゆくのはあきらかなのです。


付け加える補足として、そうした「制度として絶対的な天皇権力」を恣意的に利用する事実上の世襲貴族たち(安倍らの極右議員たちや現支配階級など)の『支配装置』として機能している事実です。


ならば、その近代に確立した『支配装置』を漸進的に解体するか、大幅に縮小・改良するしかないのです。終わりに、天皇権力のルーツとなった中国の皇帝制度についても、過去のログで紹介しておきます。


-「皇帝」の由来- 2012-10-14 記事



<参考資料・文献>


・リテラ『天皇が「お気持ち」で危惧した“崩御による自粛”の実態とは? 昭和の終わりに起きた恐ろしい状況が平成で再び 』2016.08.11

・『歴史哲学講義(上)』ヘーゲル著・長谷川宏訳 岩波文庫