野間易通さんのツイッター情報(瀬川深さんへのリツイート)です。https://twitter.com/segawashin/status/561404609953288192


その詳細を見てみると、なにやら民間の会社がクラウドファウンディングで月面への探査を目的とする企画が持ち上がったそうですが、内容は『ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト 』というもので、HAKUTO (ハクトプロジェクト)と称され約1億円の融資をネットで募うらしく、もうすでに1294万円が集まっているそうです。


ツイッター上では野間さんをはじめ多くの方々がこの活動に疑問を呈し、ある程度の擁護論では今回の企画を否定はしますが、アニメオタク向けによる資金集めを称賛し、『有名なアニメ』や『大御所声優』によるパワーを使って反レイシズムを唱えれば良いというものもありました。



はてさて、本題のこの『ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト 』を論評していくとして、他の研究記事を引用して考えてみたいとおもいます。




「ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト」に反対します


ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト
HAKUTO (ハクトプロジェクト)


目を疑いました。


昔、ハインラインの「月を売った男」を読んだときのこと。資金集めのために主人公が「飲料会社の宣伝のために月に染料を撒いてその会社のロゴを」という提案をします。結局実行はされなかったのですが、「そりゃやってはならないだろう」と拒否感を覚えました。


このプロジェクト、それをそっくりそのままやろうとしています。理屈よりも先に感情が拒否しました。


言葉は悪いのですが、ロンギヌスのノリはニコ動の「作ってみた」「やってみた」タグと同じレベルに感じます。学生が馬鹿やっている感じというか。


月は未だにある種の憧れや、信仰の対象でもあります。日本は自由のある国ですが、月は日本の物ではありません。まして一団体が自由にしていいのでしょうか?


ましてや、「ロンギヌスの槍」という言葉自体、エヴァンゲリオンの造語ではなく、特定の宗教(キリスト教)に結びついたものです。それを月に刺す、その行動が宗教的にどんなイメージ、あるいは象徴として考えられるのか、わかっていますか?


ロンギヌスの槍は、キリストを処刑した兵士が使ったという、キリスト教の聖遺物。月はイスラームの象徴でもあります。トルコの三日月と星の国旗はイスラームを象徴します。国際医療の赤十字社は、イスラーム圏では赤新月社として活動しています。「キリスト教がイスラム教を傷つけた・傷つける意思があることの表明」ともとらえかねられないことです。世界はエヴァンゲリオンを知らない人の方が大多数なのですから。



もちろん、打ち込む「ロンギヌスの槍」は小さなものです。ですがその時にはこの言葉を思い出して下さい。

「この一歩は私にとって小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」
飛躍の方向は、ぜひとも良い方向であってほしいものです。


お金のためのノリと勢いで人類の共有財産にどうこうしようというのが、とても幼稚に見えるのです。そしてそのために数億年先まで残るモニュメントを月に持って行くことに、私は嫌悪感に近い非常な違和感を覚えます。技術的挑戦ならば、もっと違うアプローチがあるようにも思います。たとえば初代「はやぶさ」は、他のコンテンツに頼ることなく立ち位置を確立しました。「はやぶさ」は特殊という向きもおられるでしょうが、特殊と考えてそのポジションを目指さない(困難を乗り越えるプロセスは真似しなくてもいいですが)のはなぜ?


例えば、宇宙飛行士の人形を月面に置いてきて、「我々はこの人形を地球に連れ帰るため、必ず再び人間を送る!」とやった方が、個人的には好きだけれどなあ。
宇宙開発とエンターテイメントはもっとお互いを利用したらいいと思っていますが、このような形では行って欲しくなかったと言うところを、ピンポイントで突かれました。

このプロジェクトによって、チームハクトの資金稼ぎと宣伝をどうにかしようというのはわかります。わかるのですが……なぜそこでその方向に行くのかなあ。もちろんハクトの計画自体に異を唱えるつもりはありません。民間の力で月に手が届くなら素晴らしいことです。

ですがこの方向で行くのなら、私は「さよなら、ハクト」と言うしかありません。本当に残念なことです。


『文系宇宙工学研究所』(ブンケイウチュウコウガクケンキュウジョ) 「ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト」に反対します 記事(2015-01-31 Sat 02:16)




この記事を読んで感じたことは我が国日本は「宗教に寛容」ではなく、ハッキリ言って「無知」です。


別にこれは宗教に限ったことではなく、国際的な観念や常識において明らかに無頓着であり愚鈍であるということです。なぜこのような現状に至ってしまったかと申しますと、いくらネットが発達して国際ニュースが入ってこようが、国内は以前ガラパゴスであり、生まれて一度も外国人とも会ったこともなければ日本のモノカルチャー(一国主義文化)で育ち死んでいくという流れがほぼ固定化しております。


その最たる例は、日本のネトウヨが愛好するアニメやゲーム文化などの『サブカルチャー思想』であり、代表するコンテンツでは2ch文化をそのままに継承した「ニコニコ動画」や「まとめサイト」などの情報コンテンツが存在します。これ自体ネットの「嘲笑主義」と密接につながっており、「www」を多様した文字文化を構成して何かとすぐに他者を弄んで嘲笑う傾向がとても強いのです。


また付随する傾向として俗に「半径5メートルの世界」というもの、各個人の閉じた空間による「内輪のアソビ」を展開し、「身近感」「お手軽感」などの自分たちの価値観をゴリ推してそれをどこにでも適用しようとする性質があります。



今回の出来事も、まさにそうした日本の『サブカル文化』を全面に押し出す形でそれを国際世界にまで持ち込もうとする始末ですから、非常に目も当てられたものではないのは確かです。


ガラパゴスな世界で育った者たちは「正解」をそれだけしか知らない、むしろそれを唯一無二の認識として自己正当化しながら他者を貶していく。無論その手段は『ネット嘲笑主義』であり、反対者を徹底的に蔑み笑い飛ばすという愚行を繰り返します。こんなことが大手を振るって支配する世界は日本のみであり、根本的にグローバルな常識が欠落した『未開人の思考』〈閉じた世界〉。その原因としては、ひとつの言語しかできないが故に世界の正しい認識が共有できず、日本語文化単体にすがっている背景から自分たちが理解できない事象を嘲ったり、たとえば英語の「空耳化」だとか、「日本語でOK」だのとして相手側に「己の認識できる範囲」に来いと高圧的な態度でのぞもうとします。



それが無意識に自己精神へ沈殿した結果、本引用記事における『ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト 』の例が挙げられ、世界の人々ならば「当たり前の常識」が日本では通じず、『ニコニコ動画』などのサブカル的ノリの「半径5メートルの世界」「作ってみた・やってみた」の態度で臨むなら、それこそ世界から大きな反感を買うことになるでしょう。


最後に私自身はアニメ・オタク文化は否定はしません。


しかしながら、このような自分たちしか理解できない「内輪の論理」をあたりかまわず持ち込むならば、それに対して掣肘を加えることは否めないでしょう。これは私のみならず、「世界で日本アニメが受けている」と勘違いしているオタクの人々が面を食らうくらい、各地至るところで噴出する結末になります。



〈参考資料〉


・『文系宇宙工学研究所』(ブンケイウチュウコウガクケンキュウジョ) 「ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト」に反対します 記事