(モンゴルの騎馬競技『蒼き狼』より)


今年最後の記事です。

朝鮮に古くある姓として、「朴・昔・金」の三氏がありますがこれらのルーツをたどっていくと、新羅時代から君主家の姓として代わる代わる交替していきました。

のち、高句麗に広開土王が立った頃、新羅には金氏奈勿(ナフル)王が出て、王権は事実上の金氏世襲となりました。またこの三姓は、『天降姓』(骨姓)とよばれ、姓を「カバネ」と読むのはこの「骨」(かばね)という言葉と関係があります。


そして、ここで新羅には「天孫降臨」という形で開祖英雄が生まれるあたり、日本の神話とよく似たパターンがあります。新羅には、三国時代(高句麗・百済・新羅)となるとスパルタのような軍事国家となり、騎馬民族に繋がりを持つ他の二国に対抗するうえで、徹底した軍事体制を構築し、戦場で敵に命を助けられ逃げ帰った我が子を再び戦場へおくり返す逸話があるくらいです。

これは花郎道と呼ばれ、日本の武士道にあたる精神です。


新羅自体の民族的起源として、騎馬民族と結びつける文献的手がかりはありません。
しかし、考古学的には慶州の九十八号墳および百五十五号墳の発掘調査により、辰韓‐新羅の文化が、扶余‐高句麗とは異なる、スキト・シベリア系の騎馬民族の影響を強く受けていることが確認されました。

騎馬民族の総体として、その文化を共有する種族は星の数ほどあり、ここに並べるだけでもユーラシア東西で、スキタイ、ペルシャ(ハカーマニシュ)、サマルタイ、フン(西匈奴の末裔)、アヴァール、ハザル、クシャーン、烏孫、烏桓(烏丸)、鮮卑、鉄勒、オグズ、柔然、高車、エフタル、吐谷渾、夫余、高句麗、突厥、東突厥、西突厥、トゥルギシュ、ブルガール、アラブ・イスラーム、ウイグル、キタイ(契丹)、カラ・ハン、セルジュク、マジャール、カラ・キタイ(第二次キタイ帝国)、ホズラム・シャーと続きます。

そしてさらには、ゴール、モンゴル、マルムーク、ティムール、アク・コユンル、カラ・コユンル、ジャライル、オスマン、サファヴィー、シャイバーン、カザフ、ムガル、ジューン・ガル、アフガニスタン・ドゥッラーニーなど、その数はかるく百数十種以上にのぼります。



話は神話にもどり、扶余系統の国家である高句麗や百済の部類と、『魏志』倭人伝の時代に、新羅と高句麗の領土にかけて獩(わい)という別種の騎馬民族がいて、この種族は、当時の部族である耆老(きろう)が言うには、句麗(高句麗)と同種だと記録されています。

つまり高句麗=獩という構図から、その淵源は扶余系に還元されるという論理になります。

こうして朝鮮半島の古代史を見渡してみると、扶余→高句麗→百済あるいは獩(わい)という一系統の騎馬民族があり、そのうちの東明王朱蒙という開祖神話が周辺のあちこちに広がり、さらに「東北アジア」の騎馬民族の全体から俯瞰すると、それら雑多な種族が、騎馬民族というひとつの「共通項」を持ち、似たようなパターンの神話を数多く持っています。


ゆえに単純に種族が違うだけで関係ないと判断するのは間違いであり、近代民族主義のバイアスを排除した見地に立って歴史をみると、匈奴・烏桓・鮮卑・突厥・蒙古・契丹など、東アジア史に登場する名だたる騎馬民族は、人種や時代はそれぞれ異なっても、「ある共通する文化パターン」となり「行動原理」にもとづいて、その根本としての神話文化は『天から降ったという始祖伝説を持つ選ばれた家系』というものが存在し、いずれも君主はこれらの家系から出ます。

匈奴でいうと「攣鞮(れんてい)氏族」があり、蒙古では「ボルジギン氏族」です。


そういう『天意識』が騎馬民族には広く共有されていて、天の子孫たる「君主一族」は崇拝の対象です。これは、東北アジアにおける一連の天孫降臨にもとづく神話は騎馬民族特有の精神でもあります。そこに属する扶余や高句麗・百済の神話も、考古学的な裏付けと「天なる意識」を共有した新羅国家の王統の系譜も、「選ばれた氏族」以外の誰も君位に就けないという制度からして、すべての話は成り立つわけです。



結論として朝鮮の固有性である「朴・昔・金」のいずれは、「天孫降臨」思想からくる『天降姓』であり、「選ばれた王家の姓」として、古くからある幽玄なる姓として、遠い騎馬民族の記憶を思い出させてくれるのです。




〈参考文献〉

・『騎馬民族の思想』 豊田有恒 著  徳間書店

・『興亡の世界史09 モンゴル帝国と長いその後』 杉山正明 著  講談社