ブロガ―仲間の●Chang.S さんからの記事で、『反知性』とは何か(続) の影響から俗に反知性主義とは「感覚的惰性」に堕落することですが、同じ側面から俯瞰すると、この反知性主義は「反証主義」の立場からも大いなる攻撃を受ける対象となります。


反証主義とは何かと申しますと、1959年カール・ポパーという学者が『科学的発見の論理』において、同じ現象が何度も確認できる証明としての「帰納法」やそれに基づく「確証原理」を否定する形として、身辺における卑近な物事や世界の法則、以下全てを含めた宇宙の壮大な森羅万象に至ってまでの「経験的な現象」というものは、「決して実証されない」永遠の「仮説」「推論」の集積であり、これらを「経験的に反証」することは論理的に不可能としました。



たとえば、「すべてのカラスは黒い」という仮説があれば、科学者の仕事は「黒くないカラス」という反例を経験的に発見するか、この仮説命題に関する他の理論との論理的な不整合性を発見して、その仮説を「反証」あるいは「反駁」(はんばく)することにあります。(つまり別の理論で仮説を否定すること)



簡潔に述べますと、「ある事を述べたら、それが改めて問いただされても耐えうるものなのか」という事です。



つまり、ポパーの説いた「反証主義」は後に「進化論的科学論」となって、環境に適応できない生物が自然淘汰されるように、過去の科学理論(自然・社会・人文)も観測や実験データによって否定・排除されなければならないということです。



それは、「P1(問題)→T(暫定的理論)→EE(誤りの排除)→P2(新たな問題)」(P1という問題から導出された暫定的理論Tがあったら、そこから指摘された誤りEEを排除し、新たなP2という問題に鍛え直されてる)という具合に、その作業を永遠に繰り返すことによって、究極的真理に達するという意味です。




ゆえに「批判」を無視して向き合おうとせず、「『反日』をタテにして言い張ることや」「あらゆる可能性を説いて自己正当化」することは絶対にできません。後者の例で、伊藤先生のブログで「ネットの中の差別的な書き込みはみんな朝鮮人がやっている、しかし朝鮮人は奸悪なのでやった証拠を残さない、証拠がないことが朝鮮人がやっている証明になる」と言って、そもそも証拠を示さないで陰謀論を唱えるのは楽ですし、議論で場では「証拠がないのが証拠「とか、「絶対に陰謀がなかったことを証明せよ」とか言っていればいいのですから、それこそ負けない喧嘩が可能になります。



たとえば、ブログ仲間の●Chang.S さんが当時中学生だった頃の「少年誌の裏広告 」を例に、『近藤勇が愛用したとされる鉄扇のデザインを完全再現』とか『身に付ければ超能力に目覚める可能性大』という子供だましな宣伝文句を出す大笑いの内容と同レベルにおいて、まったく結果として証明されていないものを「可能性」だけ引っ張っては差別的罵詈雑言をまき散らす「ネトウヨ論法」も、結果的に「お前がこの『可能性』を否定できなければ、この可能性が事実であることが実証された」と主張します。



いやそもそも、「可能性」の問題を引っ張ってくるならば、「明日地球が爆発する可能性」を否定できなければ地球は爆発しますし、「宇宙人が来て皆殺しにされる可能性」を否定できなければ、宇宙人が来て地球人を皆殺しにするという、ちょっと常識的に考えられない珍論が平気でまかり通ってしまう始末であります。


ネトウヨは、ネット上でこの手の陰謀論や空虚な可能性を用いた無限論をたびたび繰り返して相手を困らせ、その「バカバカしさ」に付き合えきれなくなったら、勝手に自分で「議論に勝った」と軍配をあげる始末ですが、これからお伝えする「反証主義」の格好の餌食となるのがオチなのです。



次回『-極右・ネトウヨを破砕する愛すべき知性の話 その2- 』記事にて、『怪しい占い師』の話を元にした「反証主義」の具体的内容に迫っていきたいと思います。