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不確定性原理

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最近、よくamazarashiを聞きます。
自分がマイノリティだ、と思う人は多いと思う。自分を含めて。
実際にその人がマイノリティかどうかではなくて、「自分がマイノリティであると思っている人」
または「自分はもしかしてマイノリティなんじゃないかと思っている人」という集団は、少なからずいると思います。
これは憶測でしかないんだけれど、この詞を書いている人は、たぶん自分と同じ集団に属している。
自分と違うのは、この人が、「この集団が抱いている感情」を歌として上手く表現しているということ。
それがこの集団に属していない人にどう伝わっているかはわからないけど、自分には
共感として
伝わってきました。

そもそも、この作詞者は実際は自分と同じ集団には属していないのかもしれない。
もしかしたらこの集団を「理解」している外の人なのかもしれない。
でも、こういうことはどっちでもいいんです。どうでもいいわけではないけれど、どっちでもいい。

この人は同じだ。と思えれば、安心できるんです。
特にこの集団の人間は、同じ人を見つけると安心するんです。

この人は自分を「しらふ」、他の人を「酔っ払い」と表現しています。
この例えはすごくわかりやすいと思いました。
飲み会の場でのそれと同じ。そんな状況が、気がつけばずっと続いているんです。

ここで、「自分に甘えているだけだ」という言葉が襲いかかります。
これが「甘え」なのか否か、この問いすら自分を苦しめる。

こんな人生に嫌気がさしているんです。そして、かわろうと努力もしているんです。
努力の量なんて相対的にしか測れないから、他人に努力が足りないなんて言われたくはない。
努力はしているんだ。

鬱とか精神病とかについて科学的な学習をすることがある自分には、「甘え」という考えこそが「甘え」であると思えてくるんです。
「甘え」で済ますんじゃなくて、この集団に陥っていることを認めて、それに対処する方法を考える。それが必要だと考えています。
この対処、「この集団から抜け出すこと」と「この集団の中でうまく生きていくこと」のふたつに大別されると思うんです。



ここまでは、いつも考えていること。
ここから考えを発展させる、これが今の自分の課題です。
努力を、しているんです。