不確定性原理 -11ページ目

不確定性原理

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amazarashiのライブ行ってきました。

彼ら,というか彼は,僕らと同じなんだろうか。
彼は言っていた。

自分を肯定するためだけに歌ってきた。
しかし、
こうやって歌を聴いてもらって、
歌いたい歌が増えた。と。

歌いたい歌がかわったわけじゃなかった。その証拠が、最後に流れた一曲だった
それに安心した。置いていかれるのかと思った。
ちゃんと反撃の一言も最後に入っていた。
彼は確かに僕らから離れて行っているが、決して僕らを見捨てているわけではなかった。
そして、商業主義に乗っかりながらも、そう思わせないような配慮を見せてくれた。

彼のライブは、自分の救いになるものではなかった。
僕らの人生が、これからも苦難に満ちていることを見せつけられた。
かわりに得たものは、覚悟だった。
たぶん、一時的な覚悟というのが正しい。
どうせ途中で折れる覚悟だ。だから、常に新しく一時的な覚悟を得ていかなければならない。

そう思えるようになったのは最近の話で、これは悪いことではないと思う。
僕らはいつも、自分の理想に不変な世界を置く。
だからそれが、他人の思う理想よりも、はるかに実現不可能な次元に昇っていく。
僕らは、大きく変わるとこは難しいが、
変わらないなんてさらに難しい。
常に小さな変化に身を置いて生きるしかない。

僕らが望む答えは、きっとない。
僕らの中の僕以外の君たちが、そう思っているかはわからない。
そう思うべきなのか否かもわからない。
この考えすら、少しずつ動いていくものに違いない。

だからきっと、変わり続けているのなら、
無駄
が多く存在する。
しかし、無駄というのも必要であると思う。
必要ならば無駄ではないのではとか、そういう言葉の定義の議論は置いておいて。
重要なのは、その無駄を、いかに忌み嫌わずに、
自分の傍に置いておけるかだと思う。
悪い言い方をすれば妥協だが。
いかに妥協できるか。
僕らの、君の人生はそれにかかっていると思う。

あのライブで、普段から少しずつ変わり続けている僕の人生が、
また少し傾いた。
いい方向なのか、悪い方向なのかはわからない。
良い悪いを決めようとすることが間違っているのかもしれない。
しかし、上にも書いたように、覚悟、一時的な覚悟が生まれたのは大きい。
これがなければ、おそらく死んでいた。
そういう崖っぷちをさまよっているのが僕らであるから。
直接死ぬなと言われたわけでもないが。