一緒に話をしていてとても辛くなる人がいます。
いかに自分がすぐれているか、自分が過去にどんなすごい業績を残してきたかとかを、やたらと話す人。
自分は何でも知ってる、自分が一番わかってる、何も間違ってないし、みたいに、自分自身の生き方に(過剰に)自信を持っていて、さらに、他人のことを「あの馬鹿が」とか、「アレは何にもわかってない」とか言う人。
部下が育つと自分が育てて一人前にしてやったぐらいに言う人、いませんか?
善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
歎異抄(たんにしょう)にある言葉なのですが、そのまま訳しちゃうと、「善人だって仏様に救済されるのに、ましてやどうして悪人が救済されないはずがあるだろうか?」
何か変ですよね、これ。
色んな解釈がありますが、我々人間は弱い存在です。
「助けてください」って心の中でどれくらい信心深くない人だってね、人生一度くらいそう祈ったことがあるはずです。
これが他力本願。
自分の恋人を他の奴に奪われたり、ましてや殺されたり、裏切られたり、自分の肉親を殺されたりしたら、その犯人をぶっ殺してやりたい(失礼)って気持ちになる。
誰でもそういう悪人の心を持ってるし、普通に生きていて人を殺すことはまず有り得ないと思っていても、何かしらの縁があれば絶対に刃物を持って襲いにいかないとも限らない。
仏様はそんな風に心の揺らぐ弱い人間こそちゃんと助けたいんだって言ってるんですね。
自分が一番賢い、間違いなんて犯すわけない、他の奴はバカばっかり、自分は尊敬に値する人間だって勘違いしてる、誰の助けも受けないよって言う奴らにさえ手を差し伸べる。
ましてやいつ悪人になってしまうかもしれない弱い人間を助けないわけないだろう・・・。
電車での移動時間や待ち合わせのちょっとした時間用に仏教関連の本をいつもかばんの中に忍ばせているのですが、何度読み返してみても新しい発見があります。
何も仏教の本でなくてもいいんです。
相田みつをの本だっていい。
弱きもの人間
欲ふかきもの
にんげん
偽り多きもの
にんげん
そして
人間のわたし
「人間」をもっともらしい外見を表わし、弱々しい心の内面を「にんげん」で表わしていると、今は亡き松原泰道氏は「わたしの歎異抄入門」の中で解説しています。
気になるんだよなぁ、たびたびマスコミに取り上げられて話題になる四谷の「坊主バー」。
今度こっそり行ってみたいです。
勝手な自分の解釈で綴りました。
「それは解釈間違ってるな」って言う方も勿論いらっしゃると思います。
自分は色んな解釈があってもいいと思っていますが、うまくまだ自分の言葉にこなしきれていないことは間違いありません。
もしも正しくはこうだと言うのであれば、ご指摘いただければありがたいです。
それより何より、夕べ拾って持ち帰ったちょっとオチビちゃんのノコギリクワガタの男の子、ケースから脱走中、行方不明なのであります。
緊急事態(笑)
嫌だよなぁ、寝てる時にいきなり鼻をハサミではさまれても・・・。
この部屋のどこかに・・・早く姿を見せて欲しいです。
今日も猛暑の予報。
テンションあげなきゃ、ですね。
ではまた。