夜がくる、
師走の夕暮れは一瞬ともいえる早さで終わる。
午前中の爽やかな気持ちがどこから湧いてきたのか
それすらも今はわからない。
夜になると、それまでの小さな感情の波が
突然大きく暴れ出して、それは堪(こら)えがたく
自身の心が変容するのがわかる。
それは
正(まさ)しく『憎悪』なのだ。
嵐の渓流を流れる濁流の如く、流れに触れるものを激しく巻き込んで
周囲をグシャグシャに壊すためであるかのように
『憎悪』そのものが力尽きるか、
或いは酒の酩酊に飲まれて自身が崩れ落ちるか
『憎悪』などという感情とその感触に触れることなど
生涯無いだろうと思って生きてきた。
自分が何者なのかなどくだらないことに囚われることはないが、
『どうしようもない奴だ』と唾棄するように呼ばわれ
扱われる
普遍的な(どこにでもいるような)気狂いのカタワでしかない残念な実感を得たこと…
これによって『憎悪』の鉾先が自分に向いてくれれば
時として救われる
それは神による赦しなのだ。