これは自分用の記録として残す。


冬休みが終わり3学期が始まっている。

冬休みが終わる前に校長や副校長と話をし、少しずつ教室に戻らなければという思いから、私は朝の会前後の時間教室に向かうようにしていた。

しかし、教室にはギリギリ入らない、一歩外側の廊下のところまで。

そこに立ち、話しかけにきてくれた学級の子どもと接したり、代わりの先生が進める朝の会を眺めたりしていた。


正直、教室の中に入ろうと思えば入れる。

しかし一気に入ってしまうとすぐ教室に戻されてしまうのではないか、という思いから入らないでいた。


そんな前進もある一方で、初期の頃の謎の焦燥感や動悸も復活している。


仕事始め、職場に向かう車の中で、謎の焦燥感、不安感に襲われ、ひとりで「どうしようどうしよう」と呟きながら手を握ったり、呼吸のしづらさを感じて車の窓を開けたりしていた。


また、分掌会議では座っているだけなのに動悸がした。

Apple Watchをみるとどんどん心拍数が上がっていくのが数値として見えた。

一時退席して薬を飲もうかとも思ったが、提案をしている先生が話していたため言い出せなかった。


こんな状況で、自分がよく分からなくなった。

よくなっているのか、また悪くなっているのか。

そしていつまで別室出勤をしているのか、周りの先生方もいつまでこいつは、と思っているのだろうと勝手に思い込み、中途半端な自分に苛立ちを感じた。


そして金曜日、そんな苛立ちと興味から、私は別室で手首を切った。

以前から刃物を使った自傷に興味があった。

興味半分だった。

しかし深く切る勇気はなかったし、痛いのも嫌だった。

「切っても痛くない場所」などと検索したが、結局王道の手首にした。

その時手元にあったのは普通のカッターとデザインカッター。

その辺にあった紙で切れ味を確認し、デザインカッターを選んだ。(そっちの方が切れ味がよかった。)


刃物を少し手首に押し当てると赤く跡がついた。

いいぞ、と思い、少しずつ、少しずつ切った。

切ると言っても紙で指が切れるくらいの浅さで。

1cmくらい切って、少し満足感を得た。


そこまで切ったところで、睡眠薬OD。

1錠で処方されているもので、成人マックス3錠までのところを6錠飲んだ。


そしてまた刃物を手に取り、切った。

途中で少し深く切れたのだろう、「いたっ」と声に出た。

そして手首を見ると血が滲んでいた。

手首から血が出ているということに、その時の私は大きな喜びを感じた。

結局6cmくらいの傷と4cmくらいの傷を作った。


こんなことをしてはいけないという思いはあったが、興味からやってしまっていた。


そうしている間に副校長が給食を持ってきてくれたので、自ら刃物を全て預けた。

切ったことを自白しながら。


副校長は怒っていたようだった。

(睡眠薬ODにより記憶が朧げ)

「もう今日帰れば?そういうことするなら」と言われた記憶が薄ら残っている。

私がそうすることで子どもに与える影響は考えたのかと言われた。

私は別室にいて、そこから出なければ子どもに会うことはないし影響とは?と思った。

(後で副校長が最悪の想定をしてそう言っていたことがわかった。)


まあ、しかし、そんなことをしてしまった私に信用はない。

給食を食べ終わった後は職員室で仕事をすることになった。

副校長は、私が子どもから見えないようになのか、私に子どもが見えないようになのか、アクリル版に花柄のスカーフをガムテープで貼り付けた。


私は子どもたちが出した冬休みの日記に返事を書くという仕事をした。

書き終わってすることがなくなり、「終わったので戻ってもいいですか?」と副校長に聞いた。

あまり記憶が残っていないが、私が目に入らないところに行くことへの躊躇いがあるようだったものの、刃物はもうありませんよと言い、戻してもらった。


そして戻った後、私は眠りについた。


しばらくしてドアを開ける音がしたので慌てて起きると副校長だった。

全校に配る手紙をホチキスで留める手伝いをしながら話をした気がするが、何を話したのか、もう、記憶がほとんどない。

手伝いが終わった頃には定時を過ぎていたようで、じゃあ荷物まとめて職員室来てね、と言い副校長は部屋を出て行った。


よく覚えていないが、もうこの別室にも来られない(いられない)、家にもいられない、いよいよ居場所がなくなったと思った私は、自殺関連の本を買おうと必死にAmazonを漁っていた。


私が部屋から出てこないことを不安に思った副校長がまた私のところにやってきたので、そこでようやく退勤した。


しかし退勤した後も、帰る気にならず、車の中で暖房もかけず、LINEをしたり、本を漁ったりしていた。

そうして特に用もなかったが、副校長が学校から出てくるのを待っていたような記憶がある。


1時間後くらいに副校長が学校から出てきて、私がまだ退勤していないことに気づいた。

すごく驚いたようで、気をつけて帰るんだよ!?と言いながら帰って行った。

(後でこの時私をこのまま置いて行ってよかったのか?と思ったと副校長は言っていた。)


そして帰宅。親にはバレないよう、平然と過ごしていた。

お風呂に入った時、傷が痛んだ。


お風呂からあがると校長からの着信が残っていた。

心当たりしかない。


電話をかけ直そうと2階に上がると、母が電話している声が聞こえた。

「様子を見てみます」そう言っていた。

ちょうど電話が終わったようで、「どうしたの!?」と言われた。

それは、私が自らを傷つけたことに対するどうしたの、なのかそれとも、私が2階に上がってきたことに対するどうしたの、なのか疑問に思ったが

「いや、私にも電話来てたから。同じ人からかなと思って。職場の人でしょ?私も電話かけるから。」と言って部屋に入った。


校長は「副校長さんから聞いたよ。やっちまったなあ。」と切り出した。

何でそんなことやってしまったのか?でも自分でもわからないか、ということも言っていた。

いや、どこかご飯に誘おうかと思って電話したんだよと。

土日の予定を聞かれたので、「今日こんなことをしてしまったし明日は病院に行きます。その後大学時代の後輩に会います。」と言った。


すると土曜日の夜、ピザを食べに行こうと言われた。お酒も飲むことになった。



次の日の午前中病院に行った。

待っている人は少なかったのに、私が呼ばれるのは遅くて苛立ちを感じたし、待っている間にまた動悸はしてくるし、ひとりで少しパニックになった。

なんでここに来たんだろう、自分で来たのによく分からないし話ができる自信はないしもう帰りたい、そう思った。


そして診察、泣いた。

薬を正しく飲まなかったことを白状したら、薬を全部漢方薬にされるというペナルティをくらった。



夕方になって校長から電話がかかってきた。

(金曜日の時点では何時にどこにいけばいいか伝えられておらず、電話すると言われていた。)

その電話で副校長も誘っていいかと聞かれたので、「はい、是非。」と答えた。


1件目、さほど暗い話はなかった。

「豊かに生きるとはどういうことか」とか「理想の学校を作りたいんだ」とか、そういうことを校長と副校長が話しているのをただただ聞いていた。

1年目でそういう話を聞くことができるということのありがたさを感じた。


2件目、学生時代には絶対来ないようなバーに連れてきてもらった。

何を頼んだらいいのか分からず、全部校長に任せていたが、後で40度以上のお酒をロックで飲んでいたことがわかって驚いた。

そこでも、自分の人生を見てほしいと思える人がいつか出てくるとか、そういうような話をされた。


3件目、ラーメン屋。

ここの店のこれがうまいんだと勧められたものを食べた。

素直に思っていたよりおいしいと思った。


そしてこの3件目がキツかった。


途中から金曜日の私の話になり、

切って血が出た時に喜びを感じたこと、

今自分の手首に傷があるのが嬉しいと思うことを話した。

また、なぜ自分の人生だというのに、その終わり方、終わる時を自分で決めてはいけないのかと思うことも話した。


「でも昨日副校長先生に、学校は命の大切さを教える場だからと言われ、でも今自分はこういうことを考えているから、そしたら私子どもたちの前に立つ資格ないなと思って。」

そういう私に副校長は



「なら辞めろよ。」



と言葉を放った。


「(手首を切ったことによって学校に救急車を呼ぶことになり)救急車で運ばれたら、しんだら、そのことで影響を与える35人(私の学級の人数)のことは考えた?考えられないから病なのかもしれないけどさ。35人に対しての責任が取れないなら辞めろよ。そういうこと考えるなら辞めてからにしろよ。」


話を聞きながら、あー泣きそうだと思った。

ごまかすようにラーメンが茹でられている湯気をながめながら

「そこまで考えが及びませんでした」と私は言った。


私たちがこの話をしているその間、校長は一言も言葉を発さなかった。


そこでこの会は終わった。

店を出てから明るく立て直すような雰囲気も感じられたが、「辞めろよ」という、その言葉が私の頭から離れることはなかった。


副校長と帰りの方面が同じだったため一緒にタクシーに乗った。

私がこうなっていることでフォローしてくれる人がいることを忘れないで欲しいというようなことを言われた。

私はもうタクシーで泣き始めていた。


先にタクシーを降りた副校長は、「じゃあまた!来週ね!」と明るく言ったが、

「もう来週学校に行ける自信ないよ...」

私はそう思っていた。


タクシーを降り、家まで歩く中で、私はもう八方塞がりのような、そんな気持ちになった。

もうしにたいと言えなくなった、しぬことを許してもらえなくなった、

しかし仕事をやめる決断もできない、どうしたらいいんだと。


家についてから、もう涙が止まらなかった。

副校長から辞めろと言われた。

そのことが重く私にのしかかり、潰されるようだった。

そして泣きながら自然と友人に電話をかけていた。

ぐしゃぐしゃになりながら、「副校長に辞めろって言われた」と話した。


1時間くらい友人と電話をしたり、他の人ともSNSで話したりする中で少し落ちついた。

副校長が言っていることもよくわかる、色々真剣だからこそそういうことを言ったのだろうと。

ただ、私がこんなにズタズタなのに、やはり1番は子どもなんだなと、そういうことも思った。

今までたくさん話をしてきた副校長を母のように思っているところがあり、慕っていた。

だからこそ、より傷ついた。


そして今日、泣いて腫れた顔を誰にも見られたくなくてずっと布団の中にいた。

寝て、起きて、泣いて。寝て、起きて、泣いて。


仕事を辞めることも、しぬことも許されない。

もうなんで自分は生まれてきたんだろうと思った。


そして、ついに、月曜日学校に行くことができる自信がないため1日休みをもらいたいと校長に連絡した。


休職をすすめられても、親にバレたくないからと今まで休まなかったが、

もう、そんなことはどうでもよかった。