実は私は1月末から仕事を休んでいる。
いわゆる病休だ。
そして今日引っ越しする関係で書類を書きに学校に行ってきた。
病休に入ってから何度かは学校に行っていた。
そして少し副校長と話すことのできる時間があった。
副校長が人生について考えている夜先生なら、というような感じで話してきたので、先日のカウンセリングで言われたことを伝えた。
今まで話してきて、学校の先生に向いているのかそれとも他の生き方というものを模索しているのかと思っていたが、先生やるかやらないかではなく、今までの自分の「ちゃんとするのが当たり前」みたいな考え方の訂正を自分に求めているのではないか。身体が今まであなた無理しすぎよとメッセージを出していて、先生向いてないよじゃなくて、あなたのあり方が自分を潰しちゃうよってメッセージになっていた可能性は?
そうカウンセリングで言われていた。
つまり私は副校長に、生き方について考えているわけではなかったのかもしれない、ということが言いたかった。
すると副校長は「言われてああ、とは思ったね」と言った。
ある程度納得したようだった。
副校長は以前から私のことを真面目と評していた。
そして「できない自分を認めるというか、さっき校長先生も言っていたけどできないことはできないと.....」というようなことを言った。
詳しくは忘れてしまった。
『できない自分』という言葉が頭に残ってその他は薄らいでしまったのだろう。
私は自分に対してプライドなんてものはないと思っていた。
自己否定が強いし、他者と比べると本当に自分はできていないと思っていた。
今こうなっても、ちゃんと働いていた当時、自分はすごく頑張っていたとは思えない。
(カウンセラーは実際頑張っているのに自分でそう思えないから、サインとして精神疾患を発症するしかなかったのではないかと言っていたが)
しかし、副校長の『できない自分』という言葉に引っかかった。
そして少し振り返ると自分にもプライドというものがあったのだと気づく。
正直私は今まである程度優等生だったように思う。
中学校では苦手な体育のせいでオール5を逃したくらい、授業態度もそれなりによく、テストの成績も上位だった。
(今教員になってほぼ全て5の凄さを実感する。小学生の3段階でさえ、ほぼ全部3はとても少ない。)
高校でも10位10%には入る成績で、テストで上位の人の名前が書かれる紙に名前が載らないことはなかった。
大学でも、寝坊して授業に遅れることは1度もなかったし、サボることもなかった。
成績優秀者には届かなかったが、単位を落としたこともない。
こういった面で、私は人並み(もしくはそれ以上)にはできると思っている節があった。
しかし、仕事のこなし方、量などについては他者と比較し、自分はできていないと思っていた。
だが、それでも大学時代のあの人と比べたら、あの人が教員として働けているなら、私にもできるはずだと思っていることもあった。
結局あの頃は上と比べることに重きを置き、自分はできないと評していたのだと思う。
そして今日副校長の「できない自分」という言葉に引っかかった。
できていないと思う中でも、平均よりは上と思って生きていたのだろう。
ああ、私にもプライドというものがあったのだ、そう思った。
私はおそらく職場に戻っても、できない自分というものは受け入れられない。
そしてきっとまた同じように働き、(むしろ病休を取ったことによって周りと遅れたため、その遅れを取り戻そうとより働くかもしれない。)また自分を壊すだろう。
そして私はそれを望んでいる。
私は今よりももっと重篤な精神疾患になりたい。