今まで漠然とした生きにくさを抱えながら生きてきていた。

そして昨日、その正体が判明した。

それは「不安型愛着スタイル」であった。

また、自分に対する理解が大きく前進した日であった。

 

 

いつ頃からだろうか、もう思い出すことはできないくらい前から、

人の顔色をうかがったり、人の言動を勝手に深く捉えすぎたりして

自分で自分が嫌になることが幾度となくあった。

 

隣の教室で学年主任と、去年学年主任と組んでいた先生(以下A先生)が小声で話しているのを目撃した時には、

何か私のよくないことを言っているのではないかと不安になり、

しかし後々学年主任から「A先生とこの前こういう話をしていて…」と言われ、

全然私のことではなかったということがあったし

(結局それは私の話ではなかったが、A先生が現在一緒に組んでいる先生のよくない部分についての話ではあった)、

最近卒業アルバムに載せるメッセージを書かなければいけなかった時には、

どのくらいの文量で、自分の名前は書くのか等々

その時隣にいた先生に質問したところ、

『校長室にあるから見てきたらいいじゃん』

「いやでも謎にちきって行けないんですよね…」

『でも今誰もいないでしょ』

と言われ、謎に「今この人怒ってる?」と思ったこともあった。

(ここで会話として書いてもその場の雰囲気でしか感じられないものが大きいため、これを読んでいる人には何も伝わらない気がするが…)

 

とにかく思い出せないくらい勝手に深読みをして自分で自分の首を絞めるということを今まで何度も繰り返してきていて、

その度に「自分の考えすぎだって!また勝手に深読みして…」と思うものの

それで思考がとめられたら苦労はしていない。

 

 

この生きづらさが何か考えたことがある。

そしてHPS(Highly Sensitive Person)なのではないかと思った。

英語を読んだそのままだが、HSPとは非常に感受性が強く敏感な気質をもった人のことである。

その特徴として以下のようなことが挙げられている。

①深く情報を処理する。

②過剰な刺激を受けやすい。

③共感しやすい。

④心の境界線が薄い・もろい。

⑤疲れやすい。

⑥自己否定が強い。

 

気になった人は詳しく自分で調べたらいいと思うが、大まかにはこんな感じである。

 

しかし、これは自分には当てはまらないなというものがあった。

 

「②過剰な刺激を受けやすい。」である。

ここでいう刺激とは人混み、物音、光、味、におい、気候の変化等を指す。

しかし、これらの刺激が病的なまでと言ったら失礼かもしれないが、それほど気になったことはない。

(参考 HSPとは(Highly Sensitive Person) http://www.madreclinic.jp/pm-top/pm-symptom/pm-symptom-22/ マドレクリニック 最終閲覧日2021/12/22)

 

ネットによくある診断をやってみたこともあるが、可能性はひくいだろうということであった。

 

ではこの生きづらさとは何だったのか。

冒頭で述べた「不安型愛着スタイル」である。

 

1つ前のブログで岡田尊司さんの「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」という本に触れた。

その本の中に愛着スタイル診断テストなるものがあった。

45問の質問に答えることで5つの愛着スタイル、「安定型」「安定-不安型」「安定-回避型」「不安型」「不安-安定型」「回避型」「回避-不安定型」「恐れ-回避型」に分けられる。

 

私はA「安定型愛着スコア」が1点、B「不安型愛着スコア」が18点、C「回避型愛着スコア」が3点であった。

 

15点以上の場合にはその傾向が非常に高く、10以上の場合には強いと判定される。5点以上ある場合その傾向も無視しがたい要素となるらしい。

これは面白い、私は「不安型愛着スタイル」全振りである(笑)

 

(ネット上の別の診断であるが質問項目は同じ診断があった。気になる人はやってみるといいと思う。

https://attachmentstyletest.web.fc2.com/

この診断で私は、安定型愛着スコア4点、不安型愛着スコア21点、回避型愛着スコア17点、未解決型愛着スコア9点であった。)

 

本をもとに「不安型愛着スタイル」について以下で大まかにまとめていこうと思う。

 

 

 不安型愛着スタイルの人は相手の表情に対して敏感で、読み取る速度が速いものの、怒りの表情であると誤解してしまうことが多い。相手の反応が悪いと嫌われているのではないかと不安になって、仕事、作業どころではなくなってしまう。また、「愛されたい」「受け入れられたい」「認めてもらいたい」という気持ちが非常に大きいため、拒絶されたり、見捨てられたりすることに極めて敏感で、そのような素振りを見せられると過剰反応をしてしまいやすい。その結果、相手から明らかに不当な要求をされたり、都合よく利用されたりするような状況でも、それをはっきり拒むことができない。

 不安型の人は他者というものを、自分を傷つけたり、非難したり、うっとうしく思う存在としてみなす傾向がある。また、自分自身についても、取り柄のない、愛されない存在と思いがちである。そのため身近な人に依存し、その人から自分が必要とされていることを保証してもらうことで、どうにか自分の気持ちと折り合いを付けようとしている。

 また、期待や賞賛に対しても、もし相手の期待を裏切ったらと考えて、むしろプレッシャーになってしまう。

 

 

なるべく要約したつもりだが、それでも長くなってしまった…

 

しかし、これらが、まあ当てはまること当てはまること。

読んでいて笑ってしまったほどである。

 

私の生きづらさはここにあったのかと思った。

私が抱えている生きづらさのほぼ全てがここに書かれていた。

 

これは今まで人に言ったことがないが、実は私は人に依存しやすいところがあると思っていた。

これも人に言っていなかったが、大学時代に心療内科に1度行ったのも、人への依存が理由であった。

依存していた人から捨てられたことによる衝撃が、体調面にまで影響を及ぼした。

 

また、「受け入れられたい」「認めてもらいたい」という気持ちが非常に大きいという部分も自覚していなかったが、思い当たる節がいくつかあった。

大学時代の部活でマネージャーとしての存在意義を見失って苦労したこともあるし(これについてはいつかブログで触れたい)、

2つ目のブログで触れたカウンセラーさんからの「存在意義を求めているのではないか」と言われた言葉もある。

 


期待や賞賛に対しても、もし相手の期待を裏切ったらと考えて、むしろプレッシャーになってしまうという部分は、教室に行けなくなる直前に経験している。

保護者から、周りの先生方から褒めていただいたにも関わらず、

それを素直に受け止めることができなかった。

「そう言ってもらえるほどのことを私はしていないので...」とずっと言って自分を卑下していた。

周りはそんな私をみて

『もっと自分を認めてあげてもいいんじゃないの?』とよく言ってくれていた。



ああ…私は愛着障害なのかと思った。(医師による診断を受けたわけではないが)

初めて副校長に愛着障害なのではないかと言われたときにはそんなわけないと思ったが

かなり当てはまっていた。

自分でも驚きである。

 

 

ところで前回のブログで触れた、神田沙也加さんがプロデュースした服、ニットが昨日届いた。

今日はそれを着て出勤している。

 

「「言えない言葉のシュガーニット」」

 

なんだか上手く表現できない感情が渦巻いている。