今日は以前言っていたカウンセリングに行ってきた。

なかなか帰る気になれず、その帰りにカフェでブログを書くことにした。

スマホでブログを書くのは初めてのブログから2回目である。


さて、カウンセリング。

なんだか迷子になったような気持ちになった。


今まで私は医者からも、スクールカウンセラーからも、副校長からも、家庭に問題があるのでは?と言うことを言われていた。

私自身そこまで家庭に問題があるとは思っていなかったが、みんなが同じ方向を向いているのでそうなのかもしれないと思っていた。

そして実際に副校長の読んでいた「愛着障害」の本を自分でも読み、とても当てはまると思った。


しかし、今日のカウンセラーはそれをひっくり返した。



『話しやすいところからどうぞ』と言われたので

「長くなってしまうと思ってまとめてきました」と言って昨夜まとめたノートの内容を話した。

ここではそれをさらに大まかにまとめて書く。


・11月頭から教室に行けなくなった。


・教員という職の多忙さ。


・10月はそれに加えて様々なことがあった。

→学級別で動くことになった遠足、ルーズな下見

→初任研の実践とそのレポート

→特別支援対応(働き始めて3日で私の学級には学校で3番指に入るくらいのインパクトのある子がいると言われていた。実際に問題を何度も起こし、私が教室に行けなくなるきっかけ、女の子にヘッドロックの技をかけた事件もある。)


・ヘッドロック事件関係の保護者対応をした次の日教室に行けなくなった。


・さらにその次の日出張先で動悸、息苦しさを感じたことから副校長に病院受診を勧められた。


・病院を受診して担任業務から外れるようにと診断書を書いてもらった。


・話をしていく中でSC、病院、副校長、みんな私の過去や家庭に問題があると感じていること。


・この問題が学校の問題ではない私個人のことなのに学校側に迷惑をかけていることへ申し訳なさを感じている。


・このまま教員を続ける選択も、辞める選択も出来なさそうである。


・生にこだわりがあるわけではないため、選択をするくらいなら、手間をかけるくらいならしぬほうが早いし楽だと思っていること。



このカウンセラーはまず、みんな過去、家庭をみていると言うことに疑問を感じたらしい。

スクールカウンセラーが私は保護者につまずきがあるのではないか、と見たのも

それは普通の感覚ですよね?今学校の先生は保護者対応が難しいんですよね、と。

家庭環境についても、もっと大変な人はいるし、愛着障害なんてこんなもんじゃないですよ、と。

(正直私はもっと大変な人はいるというのが今3本指に入るくらいで嫌いな言葉)

薬も本当に必要なんでしょうかね?、と。

(薬についていらないのではないかという雰囲気のことを何度も言われた。)


カウンセラーはこう言った。

『何のために自分、どんな仕事があるのとか、何のために生きてるのとか、そう言うことをすごく考えていると言うことですよね。死にたいと言う思いも。そしたらやっぱり真剣に自分がどう生きていくのかなと言うことを、すごく深く考え始めたのかなと言うことは確かなのかな。おっしゃったように、今まで流れに乗って生きてきた。本当は自分はどうしたいなと言うことをあまり考えないできて、という感じだった。で、ここで、学校での様々なことを経験して、学校の先生はどうなのって今考えてるからこそ.....でもまだやりたいことは見つかっていないってことではあるんですよね?だから今回のことってつまりそう言うことなのかなって。過去の〜とかってなんかそういう見方もあるのかもしれないけど(笑)自分自身の生き方を、この事件をきっかけに立ち止まって自分の生き方を考え始めたってことだなというのはすごく思いましたけど。』

(言ったことをほとんどそのまま書いているため文としておかしいところは了承願いたい。)


つまり今は人生、生き方について考えているだけであって病ではない。

そういうことが言いたいんだろう。


自分自身、今、人生についてすごく考えているなということは思っていたし、健康だとも思っていた。

しかし、私は「病」という称号がほしかった。

この苦しさが病故であると思い込みたかった。

(病だと思い込みたいのも、以前スクールカウンセラーが言っていた自傷行為をする理由と同じだと思う。病であると言われることで、初めて自分が苦しいのだと自分で認められる、そういうことなのではないだろうか?)


自分が病だと思いたいから、今まで嫌だと思っても(今思えばこの嫌だと言う気持ちも医者に病ではないと知られてしまうのではないかと言う恐れからだった。)

病院に通っていたし、(病院に通うということは病であるということになるから。)

副校長に「自分は健康であると思う」と自ら言うことで、

『何かあった時机に頭を打ち付ける人は健康ではないと思う。』と言ってもらっていた。

そうすることで病であるということを自分自身に錯覚させていた。


それを会って数十分の他人に見透かされたことで、大きな抵抗が生まれているのだと思う。

(思うなどという言葉で濁したが、確信している。)



とにかく、私は、今誰の言葉を頼りに人生について考えていけば良いのか、迷子になった。

家庭にあるかもしれない原因を見つめるのか、ただ自分の人生について考える時期だとするのか。

どうしたらいいのか、少し考える時間が欲しい。

家にすぐ帰らずカフェに寄ってこうしてブログを書いているのも、考える時間が欲しいという思いからなのだろう。



ところで出会って3分の他人に自分の素性を晒すカウンセリングというものに、なんとも言えない滑稽さを感じた。