こうなってから時間的余裕が増えて、考え事をすることが多くなった。

 

大晦日(現在23:39)という今日もお湯に浸かりながらぼーっと考え事をしていた。

特に何かについて考えようと思っていたわけではなく、考えがなだれ込んでくる感じと言えばよいだろうか?

考えと言っても、もちろん負の思考である。

とりとめもなく考えていたことを、ここに書き記そうと思う。

 

 

母にとらわれたり、周りの目を気にしすぎたりしている私に、病院の先生はよく

「自分の人生なんだから。お母さんのいいなりになるのが夜さんの生きがいならいいけど、そうじゃないなら、もう少し自由に生きてもいいんじゃないかな。」

と言う。

 

この、「自分の人生なんだから」という部分について考えていた。

 

私はしにたいと思っていたし、思っている。

しかしこの、「自分の人生なんだから」という言葉は、都合のいい時、生きることに関してしか使われていない。

 

「自分の人生なんだから」と言っているのに、

なぜ、自分の人生を終わらせるタイミングを自分で決めてはいけないのか?

なぜ、自分の人生を終わらせる方法を自分で決めてはいけないのか?

甚だ疑問である。

 

生きることが正しいと、誰が決めたのか?

自分の勝手な正義を振りかざして、矛盾してはいないだろうか。

 

また、矛盾という点でもう一つ考えていた。

 

私が東京に行きたいと言ったことに対して、

母が占いの観点から行くのはやめた方がいいと言ったことを話すと、

みんなおかしいと言う。

気にせず行っていいと思うと言ってくれる。

しかし、私がしにたいと言ったことに対して、

副校長が変なことは考えない方がいいと言ったことは

誰も否定しない。

そして、「生きて」とその人も言う。

 

矛盾していないだろうか。

 

結局人は自分の考えに沿うことや、自分に都合のいいときにしか同調しない。

そして矛盾を起こす。

 

かく言う私も、しにたいと言いながら

病院に通って薬を出してもらっているなんて矛盾していると思う。

 

本当に人間はごみみたいな生きものだなと思った。

 

 

まあしかし、しにたいしにたい言いながら、2022年を迎えることができてしまった。

いつまで私が生きることを続けられるのか、それを乗り越え教室に戻ることができるのか、分からないが、

少なくとも生きている間は気が赴くままに、

またこうしてブログを書いていこうと思う。

 

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私には好きな配信者さんがいるが、

私がブログを書いていることを知ったら興味をもってくれた。

ので、ここで少しだけ、その方について思いを綴ろうと思う。

 

私がその人の配信に初めてお邪魔しようと思ったのは、

サムネイルのイラストに惹かれたからであった。

私はサムネイルのイラストを見て気になった人のところにお邪魔することが多かった。

 

「一握りの勇気をもってコメントしてね」

そんなプロフィールを見て、初めてコメントした。

 

次の日も、なんとなくアプリを眺めていたら、

またその人が目に付いたので、お邪魔した。

 

そんなことを何回か繰り返しているうちに、

その人が相談企画をしているところにであった。

 

そして私は心を掴まれた。

 

冗談のようなものから真剣なものまで、様々な相談内容があったが、

特に、暗い内容のもの。

紳士に答えながらも、他の聞き手を不快にさせないような配慮が自然とできているように感じた。

その人自身の考え方がしっかりしていて、

いろいろな経験をしていたからこそできる回答なのではないかと思った。

 

そして昨日(ブログを書いていたら年が変わってしまった)、久しぶりに配信にお邪魔できた。

 

私が以前暗い時期にさしかかっていると少し話したことをしっかり覚えていてくれて、

優しい言葉をかけてくれた。

 

やっぱりこの人の配信は心地がいいなと思った。

 

そして、この人の配信が見られるなら、まだ生きていてもいいかもな。

嘘偽りなく、本当にそう思えた。