[第1話] はじめてのパン作りから進学するまで | 【大阪府貝塚市】元パン職人が教える!酒種酵母パン教室エペ

【大阪府貝塚市】元パン職人が教える!酒種酵母パン教室エペ

大阪府貝塚市の自宅キッチンで、ご飯と糀で作る酒種酵母を使用したパン教室を開講しています。
自家製酵母、国産小麦、安心安全なパン作り
理論も学ぶパン教室

こんにちは。

大阪府貝塚市

元パン職人が教える

酒種酵母パン教室 epaisエペ 淡路厚子です。

 

 

 

 

改めて自己紹介します

 

 

 

 

私は現在、酒種酵母のパン教室を主宰しています。

ここに至るまでの経緯やどんな思いでパンをつくっているのか、知ってもらえたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

子ども時代、今ふり返ってみると

少し変わった子どもだったかも

 

 

 

 

お菓子作りが好きで、

レシピ本のはじめから終わりまで制覇してやる!と意気込んだり、親戚が集まる前日は、「仕込みや!」と称して、100個ぐらいクッキーを焼いたりしてました笑ううさぎ

 

 

 

 

料理も好きで、

特に「金子信雄の楽しい夕食」という番組が大好きで、番組の最後に流れる今日のおさらいの部分だけを録画して、1本のビデオテープに集めてました。

 

クッキング♪クッキング♪クッキング♪スッス スッス~♪

って音楽が流れるんですよラブラブ

 

 

 

 

小学生の私によく好き勝手に台所使わせてくれたよなあと、母に感謝ですね。

 

 

 

 

 

 

はじめてのパン作り

 

 

 

 

ホームベーカリーが市場に出てきたのは、1987年頃

新し物好きの母により、

ぴかぴかのホームベーカリーが我が家にやってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん私は、すぐに飛びついて

セットになっていたレシピのパンを焼いてみるのでした。

 

 

 

 

フランスパンだったかと思います。

お菓子作りが好きでよくつくっていましたが、

 

 

 

 

パンは、はじめて

ホームベーカリーに生地を捏ねてもらって、成形して焼く

ということが、とても新鮮でパン生地をさわると、なんとも言えない気持ちがこみ上げてきました。

 

 

 

 

焼いたパンは食べれはしたものの、特別美味しかったわけでも、まずかったわけでもなく、普通のパンが焼き上がりました。

 

 

 

 

けれど、なにか粉もんを捏ねたり形作るのんって楽しい♪って心に刻まれたのでした。

 

 

 

そんな思いを抱えながら、

高校生の頃は卒業したら、製パン学校に行きたいなーなんて思っていました。

 

 

 

ところが、

「製パン学校いきたい!」と伝えると

まさかの母からの反対のことば

 

 

 

母は、専門学校ではなく進学を勧めてきました。

ぽーっと生きてた高校生でしたから、反対されたら、

「そうなの?じゃあ進学するわ」

という感じで、短大に進学したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

進学したのは芸大で、

そこでテキスタイルデザイン、布地のデザインや生地の素材のことなど学びました。

 

 

 

そして着物関係に就職も内定していた矢先

とんでもないことが起こるのです!

 

 

 

続く。。。

 

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。