"三木道三" A.K.A "DOZAN11"とは何処に居ても、取り分は半分でした。では真実の流れを記載します。
私自身の、これから先の人生の為、にも記載してます。三木道三と私が出会ったのは神戸市の2号線でした。三木道三の友達がDJ軍団"平田興業"のメンバーの中に友達が2人ほど居ました。
三木道三が、はじめて作成した曲を平田興業でデビューしました。大阪から"JAPAN一番"でデビューと記載しているが事実、京都で平田興業のMIXの一曲入れて京都市でデビューした訳です。
三木道三は、その友達の部屋から、そのMIX TAPEを盗んだんです。しかし、いくら頑張っても、そのTAPE〜CD化されて多くの関連者は持っている訳です。その平田興業には中学2年の頃にヤンキーだった頃からの同じ歳の者も多く在籍してました。
一人は"古川直英"と言い。一人は"竹村健太"でした。その時期には私は現役で平田興業に何かあれば出て行かなければとの思いで居ました。
その頃はヤンキーは卒業して新愚連隊"fearful"を設立して"二代目義道会"を京都市に移し継承した頃だったと思います。"fearful"と"二代目義道会"の枝の枝まであわせて、右翼団体の全てを併せれば約100人ほど配下に納めておりました。
三木道三は私が最初に作った曲の中心の韻であった一生一緒に、と云う韻は私が最初の初めての曲の中心の韻でした。若い衆を3〜4人ほど三木道三の部屋に行き三木道三に渡したので、こちらの方は、もう三木道三しか持っていないんですから三木道三が廃棄していたら、もう、この世に存在されて無い可能性が大きく有ります。
私の初曲から中心的な韻で"Life Time Respect"が出来ました。その時にも全国ツアーが始まり、そして組織名称まで口に出してライブのステージで組織名まで、述べた言葉は全てのセキュリティを『千北の人に任せて』と述べて始まりました。
私は親父に許可をとり、若頭にも許可を頂きセキュリティを始めた訳です。
大阪のItoIから始まり、滋賀でのライブへ行きました。大阪はBAYSIDE JENNYにも三木道三と行った。
また、日本で一番有名に成った。私のホームページでネットデビューさせました。
これだけの頼み事が存在していて、50%50% の取り分を印税が入りだすと恩義、裏切り…etc などなど、金銭欲が強く成り、取り分の事も忘れてしまうんだろうか?
ライム(韻)もパクり、一緒に来たのは、京都市在住の"もも子"さんと三木道三と車の中で、ほんの数秒だけ聴かせた。それが、"LifeTime Respect"でした。
あの時期に日本全国ツアーとは私だけで出来る訳が無い。金銭じゃあ無いが、私は毎月10万円、義理事併せれば、それ以上の金額を納めて来たんです。
その様な事も三木道三は、知っていて、全国ツアー、ネットデビュー、などなど…知っていてだから実に悪質が高い行動である。
又、太田興業の若頭と会って話するとしていたが、私に年間一億円の保証の大手芸能会社からの話でしたが、ギャラを併せれば50%以上だが、約束は50%50%だったんで、契約書が無いがキチンと、50%を支払えば、もう三木道三の事は関わりたく有りません。