鎮座地:新潟県新発田市天王(旧豊浦町)

御祭神:須佐之男尊、大物主命

旧社格:村社

参拝日:2017年1月3日、2020年9月30日、10月11日、11月1日、11月23日

 

 福島潟や市島邸(豪農の館:新潟県文化財)に近い旧豊浦町の天王地区に鎮座する。
 創建年月不詳であるが、貞享3年(1686年)社殿を建立し牛頭天王を祀ったと伝える。享保12年(1727年)台風で倒壊し、現社殿は、天保14年(1843年)の再建という。
 かつては修験が奉仕し天王宮と称していたが、明治初期の神仏分離令によって、明治3年(1870年)社号を須佐男神社と改め、神官の奉仕する当村の産土神となる。明治6年(1873年)村社に列す。明治43年、新川の金刀比羅神社(大物主命)を合社し、須佐之男神社と改称。
 南西約500mの地には、牛頭天王宮が鎮座し、牛頭天王宮を参拝した際に、須佐之男神社はこの牛頭天王を祀るために建立されたと仰っていたので、神仏分離の際に分かれたのものと思われる。毎年7月の大祭は古くから「天王さまの祭り」として広く知られ、大勢の参拝者で賑わう。
 神社明細帳には、境内社として神明社(天照皇大神)の記載があるが、現在見当たらない、合祀されたと思われる。
 明治23年(1890年)、社殿の裏に御祭神の妃神、櫛名田姫命(奇稲田姫)を奉斎したので、二つの拝殿が背中合わせにつながった珍しい造りとなっている。鳥居も前後二つある。

 

鳥居・社号標

 

拝殿

 

奥は本殿ではなく、背中合わせの天王神社(櫛稲田姫命)

 

左が天王神社、右が須佐之男神社

 

 

御朱印

御朱印帳に直書きしていただいたのですが、書置きの御朱印には胡瓜のイラストが入っており、理由についてお聞きすると、昔、恙蟲など疫病から守ってもらうために御祭神の好物である胡瓜をお供えしたとう話を聞き、書置きも頂いてしまいました。お忙しいところ、お手数をおかけしました。ありがとうございました。