鎮座地:新発田市本田(旧豊浦町)
御祭神:牛頭天王
神仏習合の神である牛頭天王(薬師如来の垂迹であり素戔嗚尊の本地)を祀る。宮司家は、源頼朝から越後守護・加治荘地頭に任命された佐々木盛綱の子孫である。盛綱より19代の景綱(加治氏は景綱が最後)の末子、佐々木義綱は、応仁2年(1468年)意を決して修験道に入り、苦修を重ねると夢に老翁が現れ「これより北方一里に岩窟あり、中に行基菩薩の霊作牛頭天王の尊像を安置す。今これを授く」と言われ、夢が覚めここに進むと、岩窟中に牛頭天王の尊像と大法があり、これを奉遷した。文明5年(1473年)義綱は、故国蒲原の郡川北組豊田の荘北飯島村に帰り、同荘吉浦村に移り、文明7年(1475年)、現福島潟に接する小島に牛頭天王を安置し奉る堂宇を建立。以後、恙蟲、毒蛭、毒蛾、毒蛇等退散し、義綱の法力は四方に響き、参拝者が絶えることがなく、福島潟周辺二十有余の町村の総鎮守となる。明治初めの神仏分離の令により、本尊を吉浦に遷座、更に明治12年(1879年)、現在地に遷座。
牛頭天王は疫病を司る神であり、新型コロナウィルスの終息を祈ってきました。