鎮座地:新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦

御祭神:伊夜日子大神 御名 天香山命

式内社:伊夜比古神社(名神大社)蒲原郡十三座のうちの一座

旧社格:国幣中社(現在は別表神社)

 

 御祭神の天香山命(高倉下命、手繰彦命ともいう)は、天照大御神の曾孫にあたり、父は饒速日命、母は天道日媛命で、天孫瓊瓊杵尊の降臨に供奉して降り、紀州熊野に住まわれました。その後、神武天皇東征の際、韴靈剣(武甕槌命が国土平定に用いた霊剣)を奉って大功をたてられました。神武天皇が橿原宮で即位されてから4年後、越の国平定の勅を奉じて天鳥舟で二田天物部命(越後國二宮 物部神社の御祭神)を従え、荒波を渡り野積浜に上陸、この地の人々に漁業、製塩、農耕、酒造などの技術を教えられた越後開拓の祖神です。
 御創建については、詳らかではありませんが、社伝(公式HP)によれば、天香山命は孝安天皇元年(紀元前392年)に越の国開拓の神業を終えられ神去り坐して神劒峰(弥彦山)に葬られ、御子である第一嗣・天五田根命が廟社を築き奉祀したことに始まります。崇神天皇の御代(紀元前97~30年)に、第六嗣(天香山命より七代)建諸隅命が社殿を造営して以来、御歴代の天皇の勅による社殿修造がなされ、元明天皇和銅四年(711年)には神域の拡張と神戸及び神領の境を定めたと伝えられる。
 また、日本最古の歌集「万葉集」には、伊夜日子大神を詠った二首が納められている。 延喜式神名帳では越後國五十四社中で唯一名神大社とされた。明治4年(1871年)国幣中社に列せられた。
 宝暦4年(1754年)、九代将軍徳川家重によって寄進された旧社殿は、明治45年(1912年)の弥彦大火で焼失してしまい、現在の社殿は大正5年(1916年)に再建されたものである。

 

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 彌彦神社は家から近く、初宮詣、七五三詣、厄祓などはもちろん、年に何度も参拝しています。参拝の記として御朱印を何度もいただいていますが、異なる筆の御墨書きが楽しみの一つでもあります。

 

 令和3年1月参拝。新しいオリジナル御朱印帳2種のうちの1種に御朱印を戴きました。

新オリジナル御朱印帳

 

 

令和3年最初の参拝にて           令和2年最初の参拝にて

 

 

平成31年 初詣にて            令和最初の参拝にて

 

 

 

 

 

 

 

オリジナル御朱印帳

 

【更新履歴】

2017年10月8日 初稿

2019年3月10日 記事全文差替

2019年7月2日 記事、御朱印追加

2020年3月21日 御朱印追加

2021年3月28日 記事、御朱印、御朱印帳追加