擬に真を問い、理を信ずる。

疑心暗鬼に明け暮れて、人を人と見なさない鬼になるのだけは嫌だな。

僕には言葉がある。

僕には心がある。

僕には脳みそと心臓がある。

受け入れるも刎ねつけるも、

人とどう接するのかも。

人と「共有」したものが、もの凄くすくない自分には

分け与えられるだけの幸せがその分少ないのかななんて、思います。

別にそれでいいし、そこそこ気に入ってるんだけど。

人生

こけたら、立ち上がるか

こけて、躓き続けるか

2つに一つ。

選ぶのは自分だ。

どっちを選ぶ?
ホンマタカシ 「ニュードキュメンタリー」@東京オペラシティアートギャラリー

写真を見るということ

このことを見つめたいと思って、行きました。

写真展の写真

①見た空間の共有
②メッセージの伝達
③受けて側のアンテナがパリ3
④飾ってある写真についての妄想。撮り手の計算を勘案。

イメージとしては、静かな写真だなってのが、最初の感想。だんだん、POPになっていく。

で、最後は虚像か実像かの疑念を頭の中にすりのこす。

写真ってイメージでくるから、直接、脳みその中に弾丸埋め込まれる感覚になるなって

いうのが僕の抽象的な感想。

後は、↑のポイント。

そこにある本をちらった読んだら、こんなことが。

「写真家になるための3つの条件

①.ルックスがそこそこいいこと。
②.天才であること
③.客観的であること」

ぼくはそっちの世界のことは理解しきれやしないから、よくわからないけど。

でも、裏打ちされる技術がしっかりして、初めて自分の表現が生み出されるんだろうな。

偶然の可能性を何回必然の表現の変えるか。写真をとれるってそういうことなのでしょうか?

まだまだ、探究しよー。おもしろいことーみーっけっ!って気分です!