あらすじ
その選択は、愛か、恐れか——人間が<感情の消去>をした世界で、何が起きるのか
2044 年、AI 中心の社会で人間の感情は不必要とされ、有意義な仕事を得るには<感情の消去>をしなければならなかった。
孤独な女性ガブリエル(レア・セドゥ)は<感情の消去>に疑問を抱きながらも、仕事に就くために浄化を決意する。
そして、トラウマとなった前世—1910 年、2014 年へ遡り、それぞれの時代で青年ルイ(ジョージ・マッケイ)と出会い
惹かれていくが、「何かが起きる」という強い恐れに苛まれる…。
製作国・地域:フランスカナダ上映時間:146分
監督
ベルトラン・ボネロ
脚本
ベルトラン・ボネロ
ギョーム・ブロー
ベンジャミン・チャービット
ヘンリー・ジェームズ
出演者
レア・セドゥ
ジョージ・マッケイ
ダーシャ・ネクラソワ
ジュリア・フォール
ガスラジー・マランダ
ティファニー・ホフシュテッター
つぶやき
観終わったあと、静かで、冷たいようで、どこか温度のある不思議な余韻が胸の奥に残っていた。ベルトラン・ボネロ監督の作品はもともと現実と夢、理性と感情の境界を曖昧にするような作風だけれど、今回は特に「人間であること」と「感情を持つこと」がどう結びついているのかを、観る者自身に突きつけるような映画だった。
物語は三つの時代を行き来する。1910年のパリ、2014年の現代、そして2044年の未来。どの時代にも同じ名前を持つ男女―ガブリエルとルイ―が現れ、彼らは時代を超えて惹かれ合い、また離れていく。その関係は恋人とも、同士とも、あるいは前世と現世のようにも見え、観ているうちに時間の感覚がゆらゆらと溶け出していく。彼らが同じ魂を持つ存在なのか、それともただ似た誰かなのかは最後まで明確にされない。でも、その“曖昧さ”こそがこの映画の美しさだと思う。記憶も感情も、はっきりとした形では残らない。それでも何かが確かに伝わっていく。そんな人間の在り方を、この映画は淡く描いている。
未来の2044年では、社会が人間の「感情」を不必要なものと見なし、それを消去する技術が発達している。主人公のガブリエル(レア・セドゥ)は、その処置を受けようとするが、彼女の中にはどうしても拭いきれない記憶が残っている。消そうとしても消えない、愛や恐れ、痛みといった“人間の残滓”。理性的であることが善とされる世界で、彼女は感情の痕跡に苦しみながらも、それにしがみつこうとしているようにも見える。この姿に、観る側は思わず自分自身の内側を覗き込むことになる。もし自分の感情が「不要」とされたら、果たしてその“削除”に同意できるだろうか。感情を失った先に、果たして人間らしさは残るのだろうか。
印象的なのは、時代ごとにまったく異なる映像の質感だ。1910年の章では古いフィルムのような柔らかい粒子が漂い、時間そのものがノスタルジーとして画面に染み込んでいる。一方で2044年の章では、人工的な光と静かな色彩が広がり、息をするような“温かさ”が奪われているように感じる。その冷たさがむしろ人間の存在を際立たせていて、レア・セドゥの表情のわずかな揺れが、ひとつの感情の爆発のように見える瞬間があった。無表情の中に隠された“生きようとする意志”が、この映画全体のテーマを象徴している。
タイトルの「けものがいる」という言葉は、単に外の世界の存在を指しているのではなく、自分の中に潜む“けもの”――つまり、理性では制御できない感情や欲望――のことを指しているのだと思う。ガブリエルが自分の内側の「けもの」と向き合う姿は、現代を生きる私たちにも重なる。便利さや効率を求めて、いつの間にか自分の感情を抑え、見ないふりをしていないだろうか。怒り、悲しみ、愛、嫉妬――それらを“厄介なノイズ”として消そうとする社会で、私たちはどこまで人間でいられるのだろう。映画は静かに、しかし強烈に、その問いを突きつけてくる。
ラストシーンに近づくにつれて、時間の境界は完全に崩れていく。過去の記憶と未来の予兆が交錯し、登場人物たちは夢の中にいるように漂う。何が現実で何が幻想なのか、その線がぼやけるほど、むしろ“感情のリアリティ”だけが鮮やかに浮かび上がってくる。ボネロ監督はこの曖昧さを恐れず、観る者に“理解よりも体験”を求めているのだと思う。
観終わった後、説明できない感情が心に残った。それは恐れでもあり、安堵でもあり、どこか懐かしさに似た感覚だった。人間は“けもの”の部分を持ちながら、それを抱きしめて生きていくしかない。理性と感情のあいだで揺れながら、それでも世界にしがみつく。その不器用な姿を、この映画はとても静かに、しかし確かに描き出していた。
『けものがいる』は、決して分かりやすい映画ではない。でも、分からないまま感じることの豊かさを、改めて思い出させてくれる。理屈を超えて、ただ“人である”ということを確かめるための映画だった。
