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浮遊家具

映画 大好き また 始めたいと思います。黄斑変性、SLE、双極性障害で仕事ができなくなり、一人、家の中にいる自分、置き場所のない浮遊して漂う家具よう。ただ、時間だけが進んだ、治癒は進み現在に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ

天才科学者ヴィクター・フランケンシュタインは、死を超えて生命を創り出す禁断の実験に挑む。しかし誕生した“怪物”は想像以上に知性と感情を持ち、二人の運命は予期せぬ方向へと動き出す。創造と孤独、恐怖と共感が交錯する、心揺さぶるゴシック・ドラマ。






製作国・地域:メキシコアメリカカナダイギリス上映時間:149分


監督

ギレルモ・デル・トロ

脚本

ギレルモ・デル・トロ

原作

メアリー・シェリー

出演者

オスカー・アイザック

ジェイコブ・エロルディ

ミア・ゴス

フェリックス・カマラー

チャールズ・ダンス

ハインリヒ・ハーランダー

ラース・ミケルセン

デヴィッド・ブラッドリー






つぶやき

重くも美しい映像と、静かに心を締めつける物語が、胸の奥に深く沈殿していくような体験だった。誰もが知る古典の再映画化というだけでなく、「命を創る」という人間の傲慢さと、「生まれてしまった存在」の孤独を、まるで祈りのように描き出した作品だったと思う。

この映画でまず感じたのは、「怪物」という言葉が、いかに人間の都合でつくられたものかということだ。オスカー・アイザック演じるヴィクター・フランケンシュタインは、科学の力で生命を生み出そうとするが、その行為の裏にあるのは純粋な探求心だけではない。彼は自分自身の無力さを打ち消すように「神の領域」へ踏み込み、結果として自分の作り出したものに怯え、拒絶する。その瞬間に生まれる“父と子の断絶”のような痛みが、この映画の核にあるように思えた。

一方、ジェイコブ・エロルディ演じるクリーチャーは、恐ろしくも哀しい存在として描かれる。彼が初めて外の光を浴びるシーンで、私は思わず息を呑んだ。彼の皮膚のひび割れの中に差し込む光、そのわずかな瞬間の安らぎ――それがどんな人間の感情よりも「生きたい」という意志を感じさせた。デル・トロ監督は、恐怖の中にも温かさを見いだす演出が本当に巧みで、血や死の描写さえも“生命への賛歌”のように感じられる。


映像美も圧倒的だった。錆びついた実験器具、濡れた床に反射する光、そして灰色の空の下でただ立ち尽くすクリーチャー。どのフレームを切り取っても絵画のようで、まるで死と再生の狭間を漂う夢を見ているようだった。特に、ヴィクターが初めて創造物に命を吹き込むシーンの照明と音の演出は息を呑むほど美しく、恐怖と崇高さが同居する稀有な瞬間だった。

物語が進むにつれて、創造主と被造物の関係は、単なる敵対ではなく“鏡のような関係”に変化していく。ヴィクターはクリーチャーに自分自身の罪を見出し、クリーチャーはヴィクターの中に「愛されなかった者の姿」を見る。二人は互いに破滅をもたらしながらも、どこかで深く理解し合っているように感じられた。終盤、雪原の中で交わされる言葉のない視線が、この映画のすべてを物語っていたと思う。そこには勝者も敗者もいない。ただ、「生まれてしまった」者同士の哀しみだけが残る。

149分という長さは決して短くないが、私はまったく退屈しなかった。むしろ、時折過剰なほどに詩的で、観る側の感情を試すような構成だった。唯一、テーマの密度があまりにも濃いため、見終えた直後は感情を整理するのが難しかったけれど、それこそがこの映画の魅力でもある。簡単に「理解した」と言わせない。観客に問いを残し、静かに考えさせる。

『フランケンシュタイン(2025)』は、恐怖の物語ではなく、赦しの物語だった。デル・トロが描く怪物は、いつだって“人間になりたかった存在”であり、人間こそがしばしば“怪物”に近い。映画を見終えたあと、スクリーンの暗闇から現実に戻る瞬間、私は思わず深呼吸をした。「生きている」という感覚を、これほどまでに強く思い出させてくれる映画は、そう多くない。